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愛とビッグバンと生命

今朝の勉強会のテーマは「愛とビッグバンと生命」でした。
たった18行の中に魂が震える感動がありました。
執行草舟さんの言葉です(『魂の燃焼へ』P.114)

僕なりの解釈も含めてまとめてみました。

「生命」とは何ぞや?
その答えは「生命」という漢字の中にあります。

「生」は「生まれる」という意味と「生きる」という意味を含んでいます。
「命」には「いのち」という意味と「死ぬ」という意味が含まれています。
だから死んだ日を「命日」と言います。
(金八先生みたいですね)

つまり、「いのちが生まれる」ということは同時に、
そのいのちは「いつか必ず死ぬ」ということを含んでの「生命」なのです

よく「自分は何の為に生きているんだろう」と悩む人がいますが、
「死」が分からなければ、その問いの答えは永遠に分からないと、執行さんは言います。

「何の為に生きるのか」という問いの答えを得るためには、
「何の為に死ぬ命なのか」と問い続ける必要がある、と。

そして
「何の為に死ぬのか」も、
「何の為に生きるのか」も、
答えは同じだったのです。
答えはもう既に「生命」という漢字の中にあるのです。

「生」~「生まれる」の根源は愛じゃないですか。
「愛」とはすべても生成の根源にあるものじゃないですか。

その「愛」の本質は二つあるように思います。
キリスト教的に言うと愛とは「自己犠牲」。
聖徳太子的に言うと愛とは「和」です。

「死」とは自分の為ではなく、誰かの為に死ぬ。
これはまた武士道の精神でもあります。


そして、宇宙を生成したビッグバンの巨大なエネルギーは
実は神の愛のエネルギーだったのですね。

そのエネルギーのほんの一部が太陽のエネルギー。
さらにその一部が地球であり、自然界であり、人間の生命と、執行さんは言います。

そしてそのすべては「和」を成しています。
だからすべてのいのちは繋がっているのです。

「和」こそ、限りある生命を100%輝かせる価値ある生き方。
「自己犠牲」こそ、次の生命への愛。

もし自分に死が近づいているとしたら、
考えるべきことは「生」への執着ではなく
「愛」を考えるべきです。

次に生まれてくる新しい生命の為に、
自分の「生」を全うできるだろうか、と。

宇宙が美しいのも、
自然界が美しいのも、
みんな自分の為ではなく、誰かの為にその生を全うしているからだと思います。