水谷もりひとブログ

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【朝礼】問題意識をもって読む

11月24日号に、社長がコラムで「みやざき中央新聞を読む会in岐阜」の話を書いていました。
岐阜市に住む安田光宏さんが主宰してて、10人にくらいの人が集まって感想を言い合う会です。
これを読んで、すごくうらやましく感じました。僕は20年この新聞をつくり続けてきましたが、自分たちが作っている新聞の中身について、感想を言い合った経験がないからです。

次週号の新聞の読み合わせを全員でやるようになったのは1年位前でしょうか。それまでは編集スタッフだけで校正をしていました。
勤務時間内は、みんな仕事に追われてて、あの読み合わせの1時間を取るのがみんな精一杯で、感想を言い合う時間など、現実的に作れないのが実情です。

なので、スタッフが毎週毎週発行される新聞に中身についてどう思っているのか、正直、分かりません。

読み合わせの時間も、誤字脱字、分かりにくいところを発見するのが目的なので、じっくり読んで自分の中に落とし込む余裕があるのかどうかも分かりません。

たとえば、11月17日号の社説で、中学時代の国語の教科書のことを書きました。
中学生だった頃は、確かに授業で国語の教科書を読んでいましたが、何の感動もなかったし、振り返ってみて何一つ覚えていません。
自分の脳が「これは勉強だ」「今日は授業だ」というモードになっているから、ここで感動しようとか、この話は自分の人生にとって意味があるとか、全く思わないわけです。

実は、新聞に載っている講演記事の中で、ごくたまに面白くないものもあります。
最初に、取材して、その音声を活字にして、ある程度まとめて、それを僕が読んで、チェックして、講師の先生に確信をしてもらうというプロセスを経ているのですが、最初に読むときはとても新鮮な気持ちで読むので、興味深く読めるのです。特にパソコンのディスプレイ上で読むので、どちらかと言うと左脳で読んでいる気がします。

ところが、校正が終わって、紙面になって、再度読んでみると、面白くないと思う記事があります。しかしもう連載が始まってしまったので止められません。
そういう記事が、たまにあるのです。

一番最初に読んだときの受け止め方と、二回目、三回目読んでときの受け止め方が違うんですね。
これは自分が反省しなければならないところです。

皆さんも、心の中で「これ、面白くないなぁ」と思っても、もう連載が始まっているわけなので、言えないですよね。

読み合わせのとき、誤字脱字を見つけようという読み方をしていると、きっと自分の人生と記事が結びつかないと思います。左脳で読むからです。

一方、深く読み込んで「今週もいい話が載っていたぁ」「感動した」と、右脳で読んでいると、誤字脱字に気が付かなくなります。物語として読んでいくので、細かいところは文脈で読み込んでしまうからです。

11月24日号の社説に書いた筑紫亭の女将の話は、僕の人生に深く落ちてきました。
問題が起こって、それをやっと乗り越えたと思ったらまた次の問題が待っていた。
それに立ち向かうしか道はない。で、気がついたら乗り越えていた。
そうやって成長していく、という話です。

きっと皆さんもいろいろ悩みがあると思います。
でも3年前に悩みって覚えてないですよね。
1年前に悩みはどうでしょうか。
ずっと1年間、同じことで悩んでいる人っていないと思います。
つまり、乗り越えているわけです。
で、あの時の自分からすれば、今の自分は間違いなく成長しているわけです。

古市さんの最後の話も、すごく深かったです。
自分が今幸せだと感じているのは、自分が勉強して心のレベルを上げたからではなく、周りの人が自分を認めてくれたからだって言っていました。

私たちも読者と同じ視線でみやざき中央新聞を読んでください。
もしここを退職したとき、これ、購読したいと思うかどうか。

2か月に一回とか、過去2か月分のみやざき中央新聞を振り返って
感想を言い合う会が持てたらいいなぁと思います。

以上です。