水谷もりひとブログ

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【今朝の朝礼】人を騙す人生・騙される人生

人は生まれてくるときに、
閻魔大王みたいな怖い神様からこう聞かれます。

「お前は、人を騙す人生を送りたいか、人から騙される人生を送りたいか」
「えーーー どっちもいやですよ」って普通思いますよね。

「アホ、どっちか決めるんや。二つに一つや」と怒られるんです。
首のところに鋭利な刃物を突きつけられるわけです。
もう怖くて怖くて、どっちかに決めなければなりません。
でも、どっちの人生もイヤですよね。

迷っていたら、「早く決めないと、命はないぞ」と言われるので、
「人を騙す生き方より、騙される生き方のほうがまだましだ」と思って、
「人から騙される人生にします」と言って、生まれてきたのです。
多くの善人は。


そしたら、次に意外な質問をされます。
「では、どんな人に騙される人生を送るか、決めなさい」
「え、どういうことですか?」
「ま、じゃ、次の中から選びなさい」
そういうと、閻魔大王はいろんな人を具体例として挙げました。

①悪徳闇金融業者
②結婚詐欺師
③親しい人。その人の高額保証人になる
④イスラム原理主義者
⑤イエス・キリスト
⑥お釈迦様
⑦マホメット
⑧○○さん(配偶者の名前)
⑨宮崎中央新聞
⑩松田くるみ

①を選んだ人はサラ金地獄に苦しみ、不幸な人生を送ります。
②を選んだ人は結婚資金をとられて、ショックで寝込み、それから男を信じられなくなります。
③を選んだ人は人の借金をかぶって、それを返済するまで苦労します。
④を選んだ人はテロを行います。
⑤を選んだ人はクリスチャンになります。
⑥を選んだ人は仏教徒になっています。
⑦を選んだ人はイスラム教徒になっています。
⑧を選んだ人はその人と結婚します。
⑨を選んだ人は宮崎中央新聞の読者になっています
⑩を選んだ人は宮崎中央新聞で働くことになります。


人を騙すか・騙されるか、どっちかの人生をチョイスしなければならないとして
私たちは「騙されてもいい」という人生をチョイスしました。
次に「誰に騙されるか」と問われて、生まれてくるときに、私たちは「松田くるみ」を選びました。
イエスキリストではなく、松田くるみを選んだわけです。

このときの「騙される」というのは悪い言葉でしょうか?
悪い意味でしょうか?

よくこんな言葉を聞きます。
「騙されたと思ってやってみな!」って。
初めて見るどっかの郷土料理。
とても美味しそうに見えない。
でも、土地の人は「うまいんだよ。騙されたと思って食べてみ!」と言う。
食べたら、ホント、美味しかった、みたいな。

「ロックなんて興味ない」という人に
「とにかく騙されたと思って、おかんのコンサート行こうよ」って誘うんです。

「なんで大阪に住んでいるのに、宮崎の新聞を読まなあかんの?」と言う人に
「ま、騙されたと思って1か月間、読んでみいや!」って誘うんです。

このときの、「騙されたと思って」という言葉には
「この人に嘘をついてお金を踏んだくろう」という気持ちはないですよね。
心の中は善意そのものです。

「私を信じて!」「絶対いいから」「絶対おススメやから」という気持ちがあります。

そうです。みやちゅうのスタッフは、この社長を信じて、この会社に入ってきたのです。
就職するということは、ある意味、その会社とその社長に人生を賭けるということです。
それくらい大きな決断をしたのです。

「この社長を信じていこう」「この社長についていこう」
「この社長が言うことだったら、騙されたと思ってやってみよう」
という気持ちが潜在意識にあるんです。

だから、「目標1万5000部を目指して頑張りましょう」と決まったら、騙されたと思って頑張りましょうよ。

いまさら「信じられない」なんて言っている場合ではありません。
だって、人を騙すのではなく、騙される人生を選んできたんです。
「騙されたと思ってここに就職しよう」と決めたのは自分なんだから。

騙されたと思って見本紙を読んでみたら、面白くてハマッたという読者はたくさんいます。
騙されたと思って食べてみたら美味しかったという食べ物もたくさんあります。

騙されたと思って信仰したら幸せな人生が訪れたというクリスチャンとか仏教徒はたくさんいます。

社長の言うことに反発もあって、心の中では葛藤もあったけど、自分で選んで道なんだから騙されたと思って社長についていったら、5年前とは比較にならないほど成長している自分がいる、なんてことがあるわけです。

「騙されたと思って」という日本語って面白いですね。