水谷もりひとブログ

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【今日の朝礼】そこそこ幸せな人が幸せになれる

名古屋の志賀内泰弘さんが発行している『プチ紳士からの手紙』に僕が投稿した話をしたいと思います。
絵本作家が絵本を読むと、どういう読み方をするのかという話です。

川端誠さんは、20歳のときに絵本作家を志し、31歳のとき、『鳥の島』という絵本でデビューしました。
ということは、約10年間、絵本作家として食えなかったわけです。その間、どんな生活をしていたのかわかりませんが、考えてみれば、みやざき中央新聞も最初の10年は自分たちが生活するのがやっとでしたから、アルバイトをしながら新聞をつくっていました。

好きなことをやって生きていくということは、そういうものだと思います。

そして、10年くらいまじめに頑張っていれば神様はちゃんと見てくれていて、それなりに降りてきてくださるんだなぁと思います。

さて、川端さんには大好きな絵本があります。皆さんもご存じだと思います。『かさじぞう』です。

山間の村におじいさんとおばあさんがいて、年末におじいさんが笠を自分でこしらえて、それを町に売りにいく話です。笠を売って、そのお金でお餅を買ってお正月を迎えうとしているわけです。

今もそうですが、昔も「お正月を迎える」ために、お餅は必需品だったんですね。

このお話は民話に基づいています。それを瀬田貞二(ていじ)という人が文章を書き、赤羽末吉という人が挿絵を描いた『かさじぞう』が川端さんは大好きなのだそうです。とてもユーモアがあっていいというのです。

こんなお話です。
年末にじいさんが笠をこしらえています。
じいさんは「ばあさん、ばあさん、笠を五つもこしらえた」と言います。
「五つも」という表現に、川端さんはじいさんが自慢しているみたいで、かわいいと言います。
しかも、たくさん作っていないんですね。
五つというのは、二人分のお餅代くらいの数なのでしょう。それで十分だったのでしょうね。

そしてこう言います。「町へ行って正月の餅を買ってくる。今年こそいい年をとるべな」
それに対してばあさんは「はいはい、じゃぁ火ぃ焚いて待っとるから」と言って送り出します。

この会話に川端さんは注目します。
「はいはい」という言い方から、このばあさんはじいさんの稼ぎに全然期待しないことが分ります。
じいさんは「今年こそいい年をとるべな」と言ってますから、おそらく去年も一昨年も売れずに帰ってきたことが分るわけです。

で、結局その年も笠は一つも売れませんでした。
じいさんは町から家に向かいます。
雪が降っています。
絵を見ると秋田とか新潟あたりの雪国だということが分ります。

途中でじいさんはお地蔵さまに出会います。
お地蔵さまの頭の上に雪が積もっていました。
それで売れ残った笠をお地蔵さまにかぶせてあげようと思いました。
自分が持っている五つの笠を一つ一つかぶせていきました。

ところがお地蔵様は6体ありました。
手元にある笠は五つしかありません。
そこでじいさんは最後の一体のお地蔵さまには自分がかぶっている笠をかぶせてあげました。

家に帰り着きました。
朝家を出るときに被っていた笠をじいさんが被っていないので、どうしたのか聞きます。
じいさんは自分がやったことをいうわけです。

そしたらばあさんは「そりゃよかったな。いいことしたな。そだらば漬物ででも食べて年をとるべ」というんです。
このとき、ばあさんは両手を差し伸べてじいさんを迎えている絵なんです。
川端さんは、この夫婦は仲がいいんだなぁと思います。

そして寝静まった頃、遠くから「よいさ、よいさ」という声を聞こえます。
何やらそりを引いている音もします。
その声がどんどん近づいてきて、家の前で止まります。
二人は怖くて仕方がありません。
そしてその声の主が遠ざかった頃、戸を開けるとお正月用のお餅や魚や小判がどっさり詰まったたくさんの俵が置いてあり、二人はびっくりします。

そして絵本の最後に「それからふたはしあわせになりましたとさ」と書かれてあります。

ここで川端さんはこんな指摘をしています。
「それから二人は幸せになりました」と書かれてあるけど、
「それから」幸せになったわけではなく、この二人はもうすでにそこそこ幸せだったということです。

確かに暮らしは貧乏でした。

ところが、このじいさん、「笠を五つもこしらえたぞ」と子供みたいに自慢したり、
売れなかった笠をお地蔵さまに被せて、しかも足らなかったので自分の笠までお地蔵さまにあげてくるという優しさがありました。

また、そんなことをしたじいさんを「よかったね」と受け止めるばあさんの心の広さ、そして優しさがありました。

人間が幸せになるために必要なものをこの二人はもうすでにもっていたのです。

普通だったらそんなにお宝をもらったら大喜びすると思うのに、その絵を見ると、驚いてはいるけれど、大はしゃぎをしていません。

つまり、お宝をもらったから幸せになったのではなく、どんな境遇にあっても会話の中にちょっとしたユーモアがあって、お互いを思いやれる優しさがあって、お互いの欠点や失敗を責めたりせず、不平不満や愚痴のない生活があったら、人はそこそこもう幸せになんですね。

今幸せを感じている人のところに、幸せはやってくるんだと思います。

今置かれている状況や境遇に感謝していること、今の自分を好きであること、そういうことが大事だということです。