水谷もりひとブログ

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人生の宿題を忘れたまま

いつの間にかオヤジになった。
20歳になった息子はきっと僕のことを友だちの前では「オヤジ」と呼んでいるのではないかと思う。

「オヤジ」を生きることは、どことなくかなしいものだ。

20歳の頃は東京にいた。

それまで住んでいた下宿を出て、四畳半のアパートに引っ越した。
そのことを田舎の両親にも伝えたのだが、オヤジは何を思ったのか、宮崎から飛行機ではなく電車で上京してきた。引っ越しの手伝いをするために。
息子一人で引っ越しするのは何かと大変だと思ったのだろう。

しかし、その日、僕は東京にいなかった。
引っ越しは友だちに手伝ってもらってさっさと済ませ、熱海だったか、伊豆だったか、「面白いセミナーがある」と誘われて、あの辺りにある自己啓発系の研修所に、泊まり込みで行っていたのだ。

携帯電話などない時代だった。メモした新住所に辿り着いたものの僕と連絡が取れず、途方に暮れたであろうオヤジは、そのまままた東京駅に戻り、新幹線と在来線を乗り継いで宮崎に帰った。

その車中、オヤジは何を思いながら長い旅路を過ごしていたのだろう。
帰路に着いたオヤジは母とどんな会話を交わしたのだろうか。
このことは後に母から聞いた。
「お父さんが東京に行ったのにお前はどこに行っちょったつか!」と電話口で悲しそうに言った。

申し訳ないと思いつつも、僕はオヤジに謝った記憶がない。
その後もオヤジはこのことについて何も話さなかった。
オヤジは死ぬまで多くを語らなかったように思う。きっと母にも。

人生にはやらなければならない宿題がある。
僕は大きな人生の宿題を忘れていることに、あの頃のオヤジの年になってやっと気が付いた。
とりかえしのつかないことのひとつだ。