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亀ちゃん、編集部に来る。

全盲のカウンセラー・亀ちゃんこと「西亀真さん」がみやざき中央新聞の編集部にやってきました。
今年7月3日号から西亀さんの講演記事が連載されていますが、
その裏話は知りませんでした。

西亀さんの友人のTさんが「ぜひこの人を取材してほしい」と編集部に連絡がありました。ところが、電話を受けたうちの編集部のスタッフが
「うちはインタビューはしません。講演会しか取材しないんです」と答えたというのです。

それでTさんは個人で西亀さんの講演会を企画したのでした。
チラシをつくり、人集めをしましたが、西亀さんはまだ講演会の講師として知られていません。
Tさんは西亀さんに「なかなか人を集まりません」と申し訳なさそうに言いました。

西亀さんは「1人でも2人でもいいじゃないですか。みやざき中央新聞に取材に来てもらうためにやるわけですから」と答えました。

阪急百貨店に勤務されていた西亀さん。
30代半ばで目に異常が現れ、
医者から「いずれ失明します」と宣言されました。

それから彼は盲学校に入学します。
しかも会社は在籍のまま学校に行かせてくれました。
朝から夕方まで学校です。
そこから会社に出勤して夜10時頃まで働きました。

点字の勉強は地獄でした。
指の腹で凹凸の点が読めないのです。
「点字は自分には向いていません」と先生に言いました。

先生は「そうやなぁ、点字は難しいなぁ。でもね、僕も聞いた話だけど、
全盲で、両手のない人がいてな、その人は唇で点字をマスターしたそうだよ」

この言葉でスイッチが入りました。
それから泣き言を言うのも、不平を言うのもやめました。

その人は「藤野高明」という人でした。
この人の物語がまたまたすごいのですが、それはまた別の機会に。

その後、西亀さんは藤野先生と出逢います。
そう、藤野先生は大阪盲学校の元先生だったのです。
もう退職されていますが、この先生がすごい。

でもまた書きますね。

でも、ちょっとだけ。
時代は終戦直後1946年です。藤野さんが小学校2年生の頃、
5歳の弟と二人で不発弾を見つけ、いじっていたそうです。
すると突然爆発。弟は即死。藤野少年は目と両腕をやられました。
この時のご両親に悲しみを思うと胸がつまります。

その後、藤野少年は地元福岡の盲学校に入学できませんでした。
両手がないのですから点字も覚えられません。鍼灸もできません。
教育のしようがないのです。

それから13年間、藤野少年は未就学の状態でした。

その間、何もしていなかったわけではありません。
何もしていなかったどころの話ではありません。
普通の人の100倍の努力をしていたのです。

独学で点字を学んだのです。しかも唇で。
彼はその13年間で文字が読めるようになっていました。