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転載・過去・未来 2682号(2017/02/13)
その14 本当の自分の表現~拾ってきた石に言った「さよなら」~

歌人 小島ゆかり
 今、世の中全体を見回した時、「耳を澄ます」ということがみんな下手になっていると思います。

 このことと、日本語が今どんどんおかしくなっていることは近い関係にあるような気がしています。

 原因の一つは、マスメディアの発達だろうと思います。「自分がそのことに対してどう思うのか」を考える前に「情報」が先に与えられてしまう。だからいつの間にかその情報を、まるで自分が思っていたことのように錯覚してしまうのです。

 私は歌を通して人間の歴史や言葉の歴史を見ていますが、今ほど言葉が均質化している時代はないと思っています。

 たとえば、シドニーオリンピックで柔道の田村亮子選手が金メダルを獲りました。すると一斉に短歌の中に「柔ちゃん悲願の金」という表現が出てきました。井上康生選手が優勝してお母さんの遺影を持って表彰台に上がると今度は「井上、母に捧げる金」という、新聞の見出しのような言葉が歌に詠まれました。

 これらはあらかじめマスコミによってもたらされた言葉でしょう。共感する気持ちは分かるのですが、それと同じ表現を使ってしまうと「本当の自分の表現」ができないので、みんな似たような歌になってしまうのです。

 たとえば、ここに水差しがあります。これを見て、ある人はガラスの質感を感じ、ある人は水の静けさを感じ、ある人は明るい光を感じるかもしれません。自分だけが引き付けられる「何か」を発見する。そこから歌が生まれるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 私には中学2年生の娘がいます。この子が先生に連れられて多摩川の河原に石の採集に出掛け、20個くらい拾ってきたことがあります。

 そして夏休みの間、図書館に通って石のことをいろいろ調べ、1個1個の石にラベルを付けて標本にし、学校に提出しました。

 1週間くらい経つとその標本が返却されてきました。その時、娘は信じられない行動をしました。そのラベルの付いた石を全部ザザッとごみ箱に捨ててしまったのです。

 それを見た時、私は悲しい気持ちになりました。「あんなに一生懸命石のことを調べていたのは宿題だったからなんだ」と思ったら、「私はこの子に14年間、一番大事なことを教えてやれなかった」と、ハンマーで思いっきり頭を殴られたような気がしました。

 私はごみ箱に捨てられた石を拾って箱に戻し、居間に飾りました。14歳はほんの少し反抗期です。ちらっと見て、娘は何も言いませんでした。

 数日後、私がその石を片づけていたら娘がやってきて、「この石には雲母(うんも)が混じっていた」とか「そこに小さい葉っぱの化石が見えるでしょ。それを見つけたのは私だけだったんだよ」といろいろ言うんです。私はちょっと嬉しくなって、「多摩川に返しにいこうか」と言いました。娘も「行く」と言ってくれたので、2人で電車に乗って多摩川の河原に行きました。

 娘は石を拾った場所を覚えていて、「この石はこの辺で拾った」「この石はあの辺だった」と言って全部元の場所に戻しました。

 しばらくして「さぁ帰ろうか」と言った時、娘が振り返ってこう言ったんです。「さよなら」って。その時、私はちょっと胸が熱くなりました。

 娘にとってほんの数日前まで、この石はごみと同じでした。ところが、たったそれだけのことをしただけで、この子の心の中にはもう石に対する愛情が芽生えたのです。

 だって「さよなら」って言ったんですから。

 「耳を澄ます」「本当の自分の表現」というのは、こういうことなんだろうと私は思うのです。

(2001年1月15日号より)


★このコーナーは過去26年のバックナンバーの中から選りすぐりの記事に加筆し、読み切りで転載しています。

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