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転載・過去・未来 2686号(2017/03/13)
その18 あの時の喜びを~先生の涙に何か大切なことを学んだ~

シンガーソングライター 梅原司平
 宮崎県日向市にある養護学校でコンサートをした時のことです。

 そのコンサートの様子をビデオに撮って、僕の小学校の時の先生に送ったお母さんがいたんです。

 「あなたの教え子だった梅原司平という子は今歌手になってこういうことをやっているんですよ。先生、知ってましたか?」と。

 しばらくして先生からそのお母さんのところに返事が来ました。手紙にはこう書いてありました。

 「私は今年、梅原司平君のコンサートに行きました。46年ぶりの再会でした。かつての同僚が司平君の本を読んだらしく、『この本に出てくるN先生ってあなたのことじゃないの?』と言ってきたのです。読んでみたら私のことでした。その時初めて司平君がCDも出している歌手だと知りました。あの落ちこぼれだった司平君が、今は立派な教育者になっていることを知ったのです」

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 僕は『愛は元気ですか』という本を出しています。それを読んだ人から手紙をいただいたのですが、その中にその先生からの手紙もありました。

 僕はそれを読んで心から感動しました。なぜなら僕が今歌手をやっているのはその先生のおかげだからです。

 先生は、とても出来の悪かった僕を見捨てませんでした。

 音楽の時間には「司平君、ここ歌ってみて」とよく僕を指名して歌わせ、その歌をいつもほめてくれました。僕はその喜びをずっと忘れず持ち続けました。

 そして僕は今このような活動をしています。小学生の時、先生が僕の歌をほめてくれたことが僕に音楽の道を選ばせたのです。

 先生は、小学1年生から3年生までの担任でしたから、その後の先生の消息は知りようがありませんでした。ですから僕は先生への感謝の思いを込めて、こんな先生のエピソードを本の中で書いたのでした。

 小学1年生の時、僕は1人の女の子をいじめていました。その女の子は貧乏で、両親を戦争で亡くし、何日もお風呂に入っていないので臭い匂いがして、髪の毛にシラミがわいていました。誰もその子には近寄りませんでした。

 「貧乏」と言えば僕だって貧乏だったのに、もっと弱い子を探していじめていたのです。

 ある時、僕がその女の子をいじめていると、先生は彼女を抱きしめて泣いたのです。僕はその先生の涙を忘れたことがありません。

 勉強は全然できなかった僕ですが、その先生の涙から何か大切なことを学んで、大人になったように思います。

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 僕は、子どもたちに言います。

 「お父さんお母さん、先生たちが毎日いろんなことを言いますね。でもその意味に気付くのは30年、もしかしたら40年経ってからかもしれません。後になってその大切さに気付くこともあるのです。だから心の奥で一生懸命受けとめてみてください」

 そして、お父さんお母さん、先生たちに言います。

 「40年経ってやっと親や先生の優しさが分かる、僕みたいな大人もいます。目の前にいる子どもたちを、『出来が悪いから』『いじわるをしたから』『非行に走ったから』という理由でどうか見捨てないでください。子どもたちはただ『自分はここにいる』ということを知ってほしいだけなんです」

 子どもたちはどういう可能性を持っているか分かりません。たとえ勉強ができなくても、ほかにいいところがあるかもしれない。

 そこを見つけてあげることが「教育」なのではないでしょうか。

(1999年3月1日号より)


★このコーナーは過去26年のバックナンバーの中から選りすぐりの記事に加筆し、読み切りで転載しています。

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