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転載・過去・未来 2689号(2017/04/03)
その21 「お砂糖坊や」の視点~自分の大切なものを差し出すこと~

財団法人富士福祉事業団 理事長 枝見太朗
 マザー・テレサは50年近く「貧しい人と共に生きる」という活動を続け、それが評価されてノーベル平和賞を受賞しました。

 僕は約15年間、彼女と一緒に仕事をしたのですが、常に目の前にいる人、本当に最も身近な人を助けていました。

 「お砂糖坊やの捧げ物」という有名なエピソードがあります。

 マザーの孤児たちの施設「シシュ・ババン(聖なる子どもの家)」に、ある時、裕福そうな夫婦が3歳くらいの坊やを連れて見学に来られました。

 そのお父さんが「一番足りないものは何ですか?」と聞くと、マザーは「子どもたちが食事をする時のお砂糖です」と答えました。

 家に帰った坊やは、次の日から毎日のお茶の時間に、自分の飲む紅茶に入れるお砂糖をその分だけ小さなビンに入れていきました。

 そして再びその家族が施設を訪れた時、坊やはお砂糖がいっぱい溜まったビンをマザーにプレゼントしました。

 マザーは大喜びでした。すでにそのお父さんから大量の砂糖を寄付してもらっていたのですが、「お父さんからいただいたお砂糖も大変嬉しかったけど、私はこの小さなビンに入ったお砂糖が何倍も嬉しい」と言っていました。

 それからマザーは、「あの小さな子どもが施設の子どもたちの痛みを共に分かち合って、自分が犠牲を払って溜めたお砂糖は、何㌧ものお砂糖よりも重いものです」と修道会でよくお話をしていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 この「お砂糖坊や」の視点は、「持てる者が持てない者へ」ではなく、「共にその痛みを分かち合うことの必要性」を言っているのだと思います。

 日本では「ボランティア活動=奉仕活動」と理解されています。でもボランティア活動は、実は奉仕活動とは意味が違うんです。

 つまりそれは「持てる者が持てない者へ、力の強い者が力の弱い者に施す」感覚ということです。そんな「奉仕活動」に象徴されるような考え方が日本の福祉の発展を大きく妨げてきたのではないかと私は思っているんですね。

 「お金のある人が寄付をすればいい」と思っていると、寄付をもらいにいく時にどうしても企業やお金持ちの家に行ってしまいます。

 ところがマザーはそうじゃないと言うのです。

 「貧しい人、貧しさを知っている人たちから、少しずつでいいから、その痛みを分かち合ってもらえるような寄付の集め方をしてごらんなさい」と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「ボランティアは犠牲を払ってまでやる必要はないんじゃないか。お金や時間に余裕のある人がやればいいんじゃないか」と思う人もいるでしょう。

 でも、たとえば皆さんが何かに募金をするのは別にお金が余っているからではないですよね。

 時間だってそうです。高々70年、80年の人生です。時間はお金で買えませんから、本当に貴重なものです。

 日本では、ボランティア活動を勧める時に「余暇活動」といいますが、僕はそもそもそういう「余った時間」という考え方がおかしいと思うんです。

 欧米では違います。「もし時間やお金が余っていたら下さい」という言い方ではありません。

 「あなたにとって大事な時間を分けてください」「あなたにとって大事なお金を分けてください」と言うのです。

 「自分の大切なものを差し出すことに意味がある」という考え方をしっかり持っているんですね。

(2003年2月24日号より)


★このコーナーは過去26年のバックナンバーの中から選りすぐりの記事に加筆し、読み切りで転載しています。

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