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ビジネス社会と恋愛論

2006年12月4日

 ひょんなことから宮崎女子短期大学で週に一回、講義を担当することになった。とても「大学の先生」という柄でもないし、その貫禄もないが、こんな人間を講師に採用した同大学首脳陣の見識の高さと心の広さに、ただただ敬意を表したい。
 
教科は「実践ビジネス論」。わずか2年間という短い学生生活を経て、社会に羽ばたいていく彼女たちに、男女雇用機会均等法をはじめ、社会人として、そして女性として、知っておいたほうがいい雑学をあれこれ披露しているというわけである。

 先週は「恋愛論」をテーマに取り上げた。女子大生に興味のありそうなテーマを選んだというわけではない。実は、このテーマ、ビジネス社会において極めて重要かつ大きな問題なのだ。

 というのは、近年、大手企業を中心として、働く人の心の健康、いわゆるメンタルヘルスへの関心が高まっている。従業員、管理職問わず、職場の人間関係に悩んだり、仕事のストレスが溜まったりすると、効率よく作業が進まないとか、うっかりしてミスをしてしまうなど、仕事に支障を来してしまうことが少なくないからだ。

 私の所属しているEAP総研㈱(本社・東京都千代田区)では、数年前からIT関係の企業をはじめ、数社と契約して、悩みを抱えた社員が、同社に登録しているカウンセラーにネット上で相談できるサービスを提供している。

 2年前のデータだが、メール相談で一番多かったのは「夫婦の問題」、次いで「恋愛・結婚問題」と「健康問題」、そして「上司との人間関係」の順だった。「夫婦の問題」は既婚者からの相談だろう。「恋愛・結婚問題」は独身者からだろうか。この相談が「職場の人間関係」より多かったのは意外だ。

 考えてみれば、ビジネス社会と言えども、その社会の中で男と女は出会い、恋をしたり、失恋をしたり、結婚を考えたりする。恋愛はプライベートな問題だが、その悩みやストレスが仕事に支障を来すとすれば、事は重大である。 

 そんなわけで、産業社会の中でも、ビジネス論の中でも、この「恋愛問題」を避けて通ることはできないのである。

 例外はあるが、一般的な恋愛というのは男女の関係である。親子や兄弟とは違う。友達とも違う。「性」の異なる赤の他人同士が心を寄せ合うのだ。これこそ人間関係の真髄と言えるだろう。ここを間違うと、その先にある性の関係も、結婚も、間違うだろうし、いい恋愛関係を築けると、その先にある性の関係も、結婚も、うまくいくのではないか、そんな気がする。

 ただ、私は恋愛の達人でもないし、恋愛の専門家でもない。そこで、いろんな小説や映画を題材としながら、議論を深めていった。その中で、群を抜いて恐るべき恋愛力を持つ人物がいた。おそらく彼の右に出る者はいないだろう。韓国ドラマ『冬のソナタ』の主人公イ・ミニョンという男だ。演じているのはヨン様ことペ・ヨンジュンだ。

 イ・ミニョンの魅力は、そのセリフにある。我々日本人男性が束になってかかっても、彼の言葉には敵わないだろう。

 恋愛論、それはまさに「言葉」であり、コミュニケーションだ。言葉によるコミュニケーションの深さを楽しむのが恋愛である。とすると、その対極にあるのは動物的本能をむき出しにした性の関係だろう。

 言葉によるコミュニケーションの深さを楽しんだのは万葉集の時代だった。言葉は「言の葉」と言われ、歌人は自分の想いを表現豊かな言葉で歌にして詠み、それを交換して楽しんでいた。

 しかし、その後、武家社会となり、それが江戸時代まで何百年も続いた。封建社会が終わったかと思ったら戦争の時代になった。終戦後は、すさまじい経済競争の社会となった。新しい時代になっても、「黙って俺についてこい」みたいな男に女たちはついて行った。戦争の時代も、経済競争の時代も、余計な言葉は不要だった。おしゃべりな人より、黙々と任務を全うする人が評価された。私たち日本人は1000年近くも、「言葉を楽しむ」ことを忘れていた。

 恋愛は、和歌や音楽や映画と同じ、文化の領域にあるものだ。そんな文化に触れながら、そこにある言葉を楽しもう。そして男女の関係に豊かな言葉を取り戻そう。 

 そう言えば、『喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!』という本には「恋愛の長さは、会話の長さに比例する」とあった。