バックナンバー
2021年3月15日 2875号

幸せのマーケティング戦略
税理士/ TRYビジネスソリューションズ株式会社 代表取締役
田村麻美さん
自分を「商品」として分析してみた!
私には大きなコンプレックスがあります。顔と頭の大きさです。親からは「可愛い、可愛い」と言われて育った私ですが、小学1年生でひとつの事実に直面しました。小学生が共通して被る、あの黄色い帽子に頭が入らなかったのです(笑)。(中略)そこから、「自分という人間は人様に選んでもらえることがあるんだろうか」と考え続ける人生が始まりました。そんな人生の要所要所で私が行ったのが…【続きはこちらから】
社説
エンジョイ・マイ・ライフの一部のために
魂の編集長 水谷もりひと
…皆さんはこんな経験はないだろうか。仕事中に言葉の意味を調べようと検索サイトを開く。その時、メールが数件着信していることに気付く。「見たい」という衝動に駆られる。仕事中だから見る必要はないのだが、「大事な連絡かもしれない」という思いが「見る」という行為を正当化する。メールを確認すると、ついでに先ほどフェイスブックに投稿した記事にコメントや新しい「いいね」が付いていないかチェックする。その時、…【続きはこちらから】
2021年3月8日 2874号

変わりゆく時代に変わらないこと
(有)クロフネカンパニー代表
中村文昭さん
小学生の夢が天国の7人まで届いた日
僕は「ご縁紡ぎ大学」といって「人間力を高める」ことを目的とした勉強会を全国各地でやっています。巷の学校は「学力を高める」ということがメインだと思うんですけど、社会に出てから本当に必要なことは学力よりも人間力のほうじゃないかなと僕は思っているんです。つまり「あなたから買いたい」とお客さんから言われるとか、「あなたと一緒に働きたい」と社員から言われるような人になる。人間力というものは…【続きはこちらから】
社説
そうなりたかったらそう演じればいい
魂の編集長 水谷もりひと
…日本では「演じる」という言葉はあまりいい響きではない。「あの子は“役”を演じている」というと、否定的な評価の意味合いが強い。「嘘の自分」を装って見せているみたいな…。演出家の平田オリザさんが随分前、講演の中で不登校の子どもたちと一緒に演劇をつくった話をしていた。最初に子どもたちから話を聞いた。一人の子が「いい子を演じるのに疲れた」と言った。平田さんは…【続きはこちらから】
2021年3月1日 2873号

満月に吹く地球の風
大阪大学大学院 理学研究科 教授
寺田健太郎さん
日本の美しい四季は月からのプレゼント
…2013年には10メートルから15メートルくらいの大きさの隕石がロシアのチェリャビンスクという所に落ち、多くの建物を損壊させ、約1500人が怪我をしました。日本でも大きなニュースになり、私もテレビ番組で解説をしました。皆さんの家の近くにも隕石が落ちてきているかもしれませんので、隕石かどうかの簡単な見分け方をご説明します。まず、隕石は…【続きはこちらから】
社説
笑える不幸話を語れる幸せに気付く
魂の編集長 水谷もりひと
…日本講演新聞☆読者のつどい」というフェイスブックのページには、毎日記事に関連する「お題」が出される。そこにあちこちから読者が立ち寄り、書き込みをしていく。この度は斎藤由香さんの記事に絡めて、「笑ってはいけないけれど、笑える不幸話を教えて」というお題が出た。長野県の坂田守さんがこんな書き込みをした。「学生時代、陸上部の飲み会で終電を逃してしまい、朝刊の配達を休めなかった私は、…【続きはこちらから】
2021年2月22日 2872号

「刑事力」コミュニケーション
元埼玉県警察本部刑事部捜査第一課警部補/一般社団法人スクールポリス理事
佐々木成三さん
僕が刑事を目指した理由~きっかけは「泥棒」呼ばわり~
…僕が刑事になろうと決めたきっかけには、小学4年生の時の原体験があります。幼いころから野球が大好きだった僕は、父と高校野球の県大会決勝戦を観に行きました。その試合が終わったあと、父が用事で少しの間席を離れました。スタンド席で父を待っていると、近くの席にバッグが1個置いてあることに気付きました。僕は「誰かの忘れ物だ」と思い、…【続きはこちらから】
社説
10年目の春が、やってくる
中部支局長 山本孝弘
…私が昨年の春まで勤めていた会社は水道工事会社だった。インフラに関わる事業所であり、被災地での復興支援ができる技能を有していた。震災の日から数日後、国からの支援要請が地方の関係機関を通して各事業所へ伝えられた。うちに来た要請は…【続きはこちらから】
2021年2月15日 2871号

イキイキと元気に生きるコツ
エッセイスト/会社員
斎藤由香さん
茂吉と輝子の物語 ~祖母・齋藤輝子(前編)
…僕私の祖母・齋藤輝子は、歌人で精神科医の齋藤茂吉の妻であります。輝子は明治28年、東京の青山にある青山脳病院の家に生まれました。この病院は、敷地が4500坪もある大病院でした。「青山のいったいどこにこんな病院があったんだろう?」と今からでは想像できないような病院でした。(中略)将来の後継ぎが必要だということで、輝子の父は…【続きはこちらから】
社説
今年はあまり「くりまらない」でいこう
魂の編集長 水谷もりひと
…年頭に「今年はあまりくりまらず、ゆーっとやろう」と手帳に書いた。それは昨年暮れに初めて出会った言葉である。最初、意味が分からなかったが、前後の文脈で何となく分かった気になった。時々、高名な方の著書を読んでいると、「人生初」という言葉に出会う。先日は、とある本で「たゆたう時の流れ」という言葉と出会った。皮肉にもそれは…【続きはこちらから】