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増田翔子です。

3月12日号に掲載した取材ノート「つながって増えていく」の裏話です。

(※取材ノートはWEB会員さん以外でもご覧いただけますので、
上記リンク先から本文をお読みいただいた後に、以下スクロールください♪)


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長野と秋田をつないだ棒寒天ですが、
実は秋田のお母さん方、なんで棒寒天にこだっているのかは
とくに理由がなかったんです(笑)。

化学的につくられているとか、職人さんが頑張っているとか、そんなことはつゆ知らず、
それでも棒寒天にこだわり続けたのは
お母さん方の感覚的なものだったのかもしれません。



そもそも、棒寒天の産地が長野だということに疑問に思った方はいませんか?
「なんで海に面していないのに、長野で寒天が作られているの?」と。

寒天の原料はテングサを始めとする海藻です。
海に面していないのに、なぜ長野で寒天生産が発展したのでしょう?

その歴史は江戸時代初期にさかのぼります。
寒い冬の時期のこと、薩摩藩の一行が京都の伏見に陣をとった際、
その旅館の主人がトコロテンでもてなしました。

その使い残しのトコロテンを戸外に放置していたところ、
次の朝、寒さのせいで凍結し、カラカラに乾いたトコロテンを見つけました。

これを水で戻してみると白いゼリーのようなものになり、
海藻の臭いも少ない、おいしいものができたのです。
「寒」空に放置してできたトコロ「テン」、すなわち「寒天」の誕生です。
寒天は偶然生まれた産物だったんですね。

つまり寒天生産に必要なのは、凍結と乾燥です。
極寒の空気と適度な乾燥がある場所、それは長野県諏訪地方でした。
ということで長野で寒天の生産が発展してきたというわけです。



秋田のお母さん方は何でも寒天にするらしいですが、
私たちがよく目にする「牛乳寒天」などの王道なものから、
ポテトサラダを固めた「サラダ寒天」という不思議なものまで様々です。

秋田のお母さん方は寒天を固めることを「寒天を流す」というそうです。
米どころ秋田には、多くの農家さんがあります。
そこに嫁ぐ女性はその家の伝統を守り、そして味を守らなければいけません。
その家に馴染めず大変だったり、苦しいことやつらいこともたくさんあったはず。

そんな中で、唯一寒天だけは自由に作ることを許された料理でした。
何を固めても誰にも文句は言われません。
お母さん方は自分の想像を膨らませてレシピを考え、
日頃のネガティブな思いを寒天に託します。
涙を流す代わりに、寒天を流したというわけです。

大きな声では言えませんが、中にはとんでもない味の寒天もあると思います(笑)。
でも寒天の種類だけ、お母さん方の苦労があるのかもしれないですね。

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寒天を始めとする秋田のおもしろ文化は、
取材ノート内でご紹介した藤本智士さん編集の『のんびり』という
フリーマガジンに収録されています。
これ、なんとネット上で無料でご覧いただけます。
ご興味のある方はこちらからどうぞ~♪

さらに!
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