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「日本講演新聞」に名称変更して半年が経ちました

「みやざき中央新聞」はかつて「宮崎中央新聞」でした。それが50年以上続いていました。僕が入社した28年前、発行部数は約500部程度でした。よくつぶれなかったものだと思います。

巷では「ゴロツキ新聞」と呼ばれていました。確かに行政を叩く記事が多かったです。

経営を引き継いで、「みやざき中央新聞」に改名しました。響きは同じですが、中身は180度変えました。編集方針を一新し、正義の御旗を下ろして、「読んで成長する新聞」にしました。

剣道、柔道、華道、茶道、武士道等々、日本人はいろんなものに人間を究める「道」を求めてきました。

「報道」もしかり。情報は、それを受け取る人を幸せにするものでなければならないと思っています。そのために報道人は人間を究めないといけないと思います。

私たちは、そのために感性を磨く必要がありました。良質な本と出会い、良質な情報と出会い、心に響く情報を発信している人と出会う必要がありました。それはこれからも変わりません。

このたび新聞の改名は、前回とは逆です。前回は新聞の名前を「宮崎中央新聞」から「みやざき中央新聞」にしました。響きは同じですが中身は全く異なる新聞です。
今回は「みやざき中央新聞」から「日本講演新聞」にしました。しかし中身は全く同じです。同じ精神で、同じ編集方針を貫きます。

中身は同じですが、情報の入れ物を大きくしたのです。Mサイズが小さくて体が入らなくなったからLサイズにしたようなものです。30リットルのバケツには入る水の量に限界があるから100リットルのバケツにしたようなものです。中身の水の質は変わりません。

「みやちゅうに愛着がある」「親しみがある」という意見もあります。それは僕もそうです。新聞名を変えることに一番苦悩したのは僕自身でした。30年近くこの新聞に人生を賭けてきたのですから。

だからずっとブレていました。改名についていろんな人から違う意見を言われるたびにブレました。しかし、愛着や親しみだけでは企業は生き残れない時代です。

僕ら昭和の世代がいなくなり、平成生まれの人たちがこの新聞を引き継いだ後も、生き残れる会社にしないといけないと思いました。

「日本講演新聞」に改名して一番喜んでいるのは「みやざき中央新聞」ではないかと思います。「竹千代」が「家康」になったように、きっとこの新聞が大きく事を成し遂げていくと信じています。

会社そのものを大きくしたいのではなく、もっと多くの人にこの情報を届けたいのです。私たちの発信する情報はもっと多くの人を幸せにできる力があると信じています。しかし「みやざき中央新聞」のままでは届けきれません。

今、違和感がある人も多数いらっしゃると思いますが、5年後、10年後、「『日本講演新聞』に変えてよかった」と思ってもらえる新聞にしていきます。

改名から半年が過ぎた今でも「日本講演新聞は偉そうな名前だ」「あの筆文字の題字が偉そうだ」「名前が変わって読む気がしなくなった」といわれます。

そういわれても、認知されるまでじっと耐えつつも、
日本講演新聞の名前にふさわしい内容の新聞をつくっていきます。
どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。

                     魂の編集長 水谷 謹人