くるみノート

口蹄疫もウイルスです。きっと10年前の経験がお役にたちます。

先週の4月13日号の一面は、10年前宮崎で家畜の伝染病・口蹄疫が広がった時、現場で何が起きていたのかを元西都市長・橋田和実さんが語ってくれたご講演を掲載したものです。

日本講演新聞は良いことしか書かない新聞が、このような情報を載せるのか!と驚かれました。コロナで滅入っているのに、また口蹄疫の話なのかとお叱りもありました。

宮崎県は口蹄疫を県内に留めました。涙ぐましい現場の努力がありました。今を超えて欲しいと願い、口蹄疫騒動が役に立つと思い、急いで編集に回しました。

宮崎で口蹄疫の第一例が発症したのは2010年4月20日。丁度10年前です。

今流行しているコロナも口蹄疫もどちらもウイルスが原因です。

それは県北の延岡の農場にとどまらず、どんどん県内に広がっていきました。
海外からの農場視察のときに靴底についた土にウイルスがいたのではないか
とも言われました。国道、県道では、移動中の車を止めて消毒がされました。タイヤは念入りに消毒されました。

口蹄疫を宮崎県内で留めること。そして終息させることが急務でした。
しかしどこで広がっていくのか分からない状況はぶきみでした。

暫くして宮崎の真ん中に位置する西都市で感染が確認されてから、「絶対感染を広がらせない!」「絶対広がらせない!」その決意だけだったと、橋田市長は話されました。
感染拡大を防ぐために、感染していない牛豚まで殺処分される。そこの現場で自ら指揮をされました。

人の移動が制限されると、夜間の飲み屋街は閑古鳥が鳴きます。切実な声が聞こえてくるのも今と同じです。

「絶対に感染を広げない!」その覚悟は県堺や河の両岸での消毒に表れていました。また公共施設やホテルなど、人が多く出入りするところには、消毒薬を浸したマットが敷かれ、それを踏みしめて出入りすることが当たり前になりました。

どんなにさわやかに空が晴れても、終息宣言が出されるまでどんよりとした毎日でしたが、暑い夏も峠を超えた8月27日に終息宣言が出されました。そのとき心まで晴れ渡り、かかっていたもやが消えたように思えました。

今も宮崎空港では消毒マットがゲートに敷かれているし、ホテルでも見かけることがあります。コロナウイルスの終息宣言もいつかは訪れます。

日本講演新聞も今は在宅勤務を始めました。終息した時は、変身した日本講演新聞になります!