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取材ノート 2699号(2017/06/19)
知覧 ~散華した若き命の想い~

中部特派員 山本孝弘
 6月3~4日にみやざき中央新聞の特派員研修が鹿児島県の霧島で開かれました。研修2日目には、知覧特攻平和会館へ行きました。

 敷地内の石碑に刻まれた言葉を読んでいたら、入場する前から涙腺が少しずつ緩んできました。

 館内にはたくさんの特攻隊員の遺書が展示されていました。郷土を守るため、まさにこれから飛び立つ人間が最後に書いたものです。

 そこに記されているのは単なる文字ではありません。70年以上経ってもなお読む人の心を強く揺さぶる言霊であることが痛いほどに分かりました。

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 母親に宛てて書かれたものが多い中、幼い2人の子どもに宛てて書かれた遺書がありました。

 まだ字が読めない就学前の子どもたちに1日も早く自分の気持ちを伝えたかった父親は、遺書をすべて片仮名で書きました。当時の小学校では、平仮名より先に片仮名を教えていたからです。

 「お母さんに心配を掛けないようにしなさい。お父さんは神様になって2人をじっと見ています」(原文片仮名)

 2年前、ハワイに貸し出されていたこの遺書を、私は真珠湾に停泊展示されているミズーリ号の中で読みました。

 2年ぶりに目にしたその文にまたぐっと心が締めつけられました。

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 また、18歳の少年特攻隊員が書いた手紙を読んだ時は、彼の心中に想いを馳せ、切なさに胸が震えました。

 その遺書を書いたのは相花信夫(あいはな・のぶお)少尉です。

 6歳の時、実母を亡くした彼のもとに継母がやってきました。しかし相花少尉はなかなか継母に懐きません。それどころかずっと反抗してきたそうです。

 そんな彼が散華(さんげ)する直前に書いた手紙は、父親ではなくその継母に宛てたものでした。

 そこには、実子と変わらぬ愛情を持って育ててくれた継母への感謝の気持ちが綴られていました。そして「お母さん」と何度も呼ぼうと思ったが、ついぞ呼べなかった、との告白もありました。

 遺書はこう締め括られています。

 「母上、お許しください。さぞ淋しかったでしょう。今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん、お母さん、お母さんと」

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 愛する家族に永遠の別れを告げ、飛び立っていった若き命たち。未来の郷土に訪れる幸福を確信していたからこそ、出撃前に達観した笑顔が見せられたのだと思います。

 彼らが自らの命と引き代えにしても守りたかった祖国。その未来に生きる我々は英霊への感謝の気持ちを忘れず、彼らに恥じない生き方をしなければなりません。

(中部特派員/山本孝弘)
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