ビリギャルを支えたママの話 2648号(2016/05/23)
その6(終) 娘の「受験やめたい」の言葉に「やめてもいいんだよ」となぜ私は言ったのか?
『ビリママ』著者/「ビリギャル」の母 橘こころ
子どもがそれぞれの「ワクワク」と出合えば、潜在能力が発揮され、みんな奇跡を起こせるようになる、私はそう信じてやってきました。娘に坪田信貴先生の塾を勧めたときもそうでした。
「さやかが一番ワクワクすることって何かな?」と思い、その一つとして挙げたのが「塾」だったのです。
そんな娘も、大学受験に向けて勉強しているとき、成績が上がらず、合格ラインに近づかない時期がありました。
娘は誰よりも勉強し、成長している自負があり、「E判定(合格は絶望的という判定)がそろそろ変わってくる頃かな」と思っていました。
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そんな高校3年生の秋頃の模試の帰り道のことでした。
「こんなに勉強してるのに結果が出ない。坪田先生の言ってることって本当なの?」、そんな不信感で怖くなり、模試の会場に迎えにいった車の中で娘は泣き始めました。
その日の夕食はサムゲタンにしました。娘が失敗するイメージに襲われ勉強に向かえそうにないと思った私は、あえて「さやちゃんの好きなもん一緒に作ろっか?」と声をかけたのです。
娘は、「さやか、もうダメかもしれない。こんなに頑張ってきたのに…。やっぱり慶應なんて受かるわけない」と、また泣き出しました。
「さやちゃん、よくここまで頑張った。今だったら、きっとまた別のワクワクを見つけられる。そんなにつらいなら、やめてもいいんだよ」と私は言いました。
でも娘は、夕食を食べ終わる頃にはまた「やっぱり私、受験やる」と2階に上がっていきました。
そのとき私は、「娘が上手くいかない自分の姿を払拭できなければ、もはや鉛筆さえ握れない状態になってしまう」と感じ、どうしてそうなったのか考えました。
そして、「できる自分の姿」を心に描けなければ本来の力が発揮できなくなると思い、実際に娘と一緒に慶應大学を見に行くことにしたのです。
慶應大学をその目で見た娘は、ワクワクのイメージが再び湧き、自分を奮い立たせ、もう一度信じることができたので、勉強を続けられたのだと思います。
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あのとき、「もし娘が受験という選択肢をあきらめたとしても、それでいい」と私は考えていました。
それは娘が「『やっぱりこれはワクワクじゃなかった』という選択をした」ということだからです。
つまり私は、「彼女自身で選択することに意義がある」と考えていたのです。
「たとえ途中でやめても、いつか本当に出合いたいものに出合える。どんな結果もムダじゃない。全てを決めるのが子ども自身であることに一番の意義がある」と思うのです。
大人の駆け引きを抜きにして心の底から娘に「やめてもいい」と言ったことで、それが娘の背中をもう一度押したのかもしれません。
「もう少し頑張ってみたら」とか「これまで幾らお金がかかったと思ってるの?」などと言っていたら、娘は本当に受験を諦めていたかもしれません。
どのタイミングでどんな言葉をかけるのか、それが子どものワクワクにとって、とても大事なのだと思います。
(滋賀県長浜市が主催した講演会より/三谷房子・関西特派員取材~終わり)