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社説 2615号(2015/09/07)
「弱さ」に目を向けると健全な社会に

魂の編集長 水谷謹人
 相本多規仁(たきひと)さんは今年49歳になる。埼玉県内のリサイクル会社の正社員として働いている。プレハブの大きな工場の中で、ベルトコンベアに乗ってくるビン、缶、その他の危険物などを分別する仕事だ。

 ほこりと匂いが強烈なので窓はいつも全開。大きな扇風機が回っているだけでエアコンはない。真夏は40度を超える暑さになり、冬も極寒の中での作業になる。

 しかし、多規仁さんは雇用されて19年間、職場の不満をこぼしたことがない。それどころか、「この仕事がないと街中がビンや缶であふれて汚い街になってしまうんだよ」と話す。

 多規仁さんには軽い知的障がいがある。健常児と障がい児の境界線上の子どもだった。小学校に上がるとき、両親は普通学級か特殊学級か、迷った。

 幼稚園の先生の「将来、特殊学級を出た子が住む特殊社会がありますか? みんな同じ社会の中で生きていくんですよ」という言葉に背中を押され、普通学級を選んだ。

 最初の保護者会のとき、クレームが出た。「このクラスに本来ならば特殊学級に入るべき問題児がいます。みんなのお荷物になって勉強が遅れるのが心配です」

 担任の教師は、クラスの様子を話した。体操着に着替えるとき、周りの児童が多規仁君を見守るようになってきたこと。授業中に席を離れたら、隣の子が注意するようになったこと。先生から質問されたことに多規仁君が答えられると、みんなが拍手して喜び合うこと。多規仁君がいることで、クラスみんなの心が確実に成長していると訴え、理解を求めた。

 母親の華世子さんは、3歳児検診のとき、医師から言われた言葉を思い出した。

 「知能発達の遅滞が考えられます。これは治療して治ることはありません。そしてここから大事な話をします。この子は必ずこの子のペースで成長します。親の愛情をたっぷり受けて大きくなった子は素直な子に育ちます。素直な子は人から愛されます。愛される人に成長すると、足りない能力は人が足してくれます。そうすれば社会で生きていけます。どうか肌の温かさで育ててください。お母さんが明るいことが一番大切です…」(相本華世子著『境界線児、飛び立つ!』文芸社より)

 以前、東京で『弱さの思想』と題したトークショーがあった。作家で、大学教授の高橋源一郎さんが、なぜそんな研究を始めたのかを話した。

 次男が2歳のときに急性脳炎となり、小児病棟のICU(集中治療室)に入ったことがきっかけだった。

 容体が落ち着いた頃、ふと周りを見回すと、いろんな重度の病気の子どもたちがいた。不思議だったのは付き添っている母親たちが妙に明るいことだった。

 何人かの母親に話を聞いた。ある母親はこう言った。

 「明るくしてなきゃやってられないということもあります。それと子どもがいるから明るくなれるんじゃないかしら」

 親がいなければ生きていけない弱い存在の子どもが、親にものすごい力を与えている。ここから高橋さんの「弱さ」の研究が始まった。

 ドキュメンタリー映画『祝(ほうり)の島』や『ミツバチの羽音と地球の回転』の舞台となった山口県の祝島(いわいしま)にも取材に行った。人口440人、その7割が高齢者だ。

 予約した民宿に行くと、1人でやっているおばあさんが病気で寝ていた。「ご飯が作れない」と言う。しばらくしたら頼みもしないのに隣のおばちゃんが台所に立って高橋さんの夕食を作り始めた。

 「弱さ」に目を向けると人々は助け合う。助け合うからみんな明るい。現代社会は勝ち抜くことを是とするあまり、みな「上」ばかりを目指し、「奥」へ踏み込まないので何となくよそよそしくて、冷たい社会になったように思える。

 本当はみんなどこかに「弱さ」を抱えていると思う。「弱さ」は否定するのではなく、認め合ったほうが健全な社会ができる、と高橋さんは言う。

 「上へ、上へ」よりも「奥へ、奥へ」。奥行きの広い社会のほうが暮らしやすい。
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