弥栄の国づくり 2615号(2015/09/07)
その4 私たちは、常に「祈られている存在」なのです
公益財団法人修養団講師 寺岡賢
昭和天皇は、終戦後、年が明けてから46都道府県を8年半かけてくまなく回られました。一か所だけ行けなかったのが沖縄でした。当時、沖縄はまだ米軍の統治下にあったからです。
昭和47年に沖縄が本土復帰を果たしたとき、陛下は「1日も早く沖縄の地を訪れたい」と願いました。
沖縄では地上戦となり、多くの民間人が戦死しました。その霊を早く弔い、残った人たちを励ましたいという強いお気持ちを持っていらっしゃったからです。
しかし昭和50年、陛下よりも一足先に入られた当時の皇太子殿下に、火炎瓶が投げつけられました。
その事件が起こってからは、陛下に何かあってはいけないと、沖縄訪問はずっと見送られ続けてきたのです。
昭和62年、沖縄で国体が開かれました。国体の開会式には必ず天皇が出席すると決まっていましたので、陛下は年初から大変な意気込みだったそうです。
ところが、陛下はご病気になってしまいました。手術をして一時は回復されたものの、昭和63年1月、年を越えて再び症状が悪化し、二度と起き上がることができない体になってしまいました。
そのとき、陛下はお付きの方に「もうダメか?」と聞かれました。
その言葉は、ご自分の体のことをおっしゃっていたのではなく、「沖縄の地を訪れることはもう叶わないのであろうか」という意味だったそうです。
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昨年、広島で起こった土砂災害で多くの方が亡くなられたとき、現在の天皇陛下と皇后陛下は夏休みを返上されて、皇居でずっと祈りを捧げられていました。
東日本大震災のときもそうでした。このとき皇居は、計画停電にならない区域に入っていました。
しかし陛下は、「国民が苦しいときには自分たちも一緒でありたい」と願われ、暖房を消し、ろうそくの火で生活されたのです。
東京といえども3月ですから、まだ寒い気候です。
陛下はご高齢で、お体も悪くされていますから、周りの人が「どうか暖房だけは消さないでください」と申し上げても、「余計に1枚着れば済むことだから」とおっしゃって生活されたのでした。
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世界の多くの人々は日本を訪れ、日本人の姿や立ち居振る舞いを見て感動し、賞賛します。
なぜ日本人は、これほどまでに世界の人たちを感動させる素晴らしいおもてなしができ、困った人を助けるような優しい心を持つようになったのでしょう?
その理由は間違いなく、天皇陛下が国民を大事にし、国民を祈りによって守ってくださっているからだと私は思っています。
陛下は今日も朝から皇居の庭に出られ、国民が幸せであり、それを通して世界が平和になるように祈りを捧げておられます。
その祈りの種は、必ず何らかのかたちで実っていくだろうと思うのです。
私たちはよく神社や神宮で「幸せになりますように」という願い事を祈ります。
私たちがその祈りを実らせるためには、蒔いた感謝や幸せの種を育てなければならないのです。
でも、ついつい愚痴をこぼし不満を漏らしてしまいます。
だから、その日どんなに苦しいことや嫌なことがあっても「今日も生きることができました。ありがとう」と感謝の気持ちを持つことが大事なのです。
そして実は、自分が祈る前に祈られている存在であること、守られている自分であることも知っていただきたいと思います。
(照隅会が主催した講演会より/鈴木龍男特派員取材)