バックナンバー
2022年 3月7日 2920号
ちょっと休憩、いいはなし。
公益財団法人修養団 常務理事/伊勢青少年研修センター 所長
武田 数宏さん
大根1本500円!「想い」で売った子どもたち
…私の故郷である福島県が東日本大震災に見舞われました。「大変なことになった」と思いながら故郷に帰り、同級生たちと会いました。みんな農家です。一緒にお酒を飲んでいると、一人が、「うちの孫がな、『じいちゃんの作った野菜は放射能が付いているから食わねぇ』って言うんだ。こんな悲しいことがあるか!」と涙を流しながら言いました。福島の農産物がひどい風評被害を受けて売れなくなっていることは私も聞いていました「収穫した野菜はどうしてるの?」と聞くと、「捨てるしかねぇ」と。それで思わず私は、…【続きはこちらから】
社説
どんな仕事にも共通していること
魂の編集長 水谷もりひと
「最近、講演家を名乗る人が増えてきたが、講演家とは職業なのか?」とある飲み会でこんな議論になった。日本講演新聞の編集長なので、意見を求められた。2003年にミリオンセラーになった村上龍著『13歳のハローワーク』(幻冬舎)には、「画家」「登山家」「作家」「音楽家」など、「家」の付く職業も数多く紹介されているが、「講演家」という職業名は載っていないようだ。本来、講演会の講師には本業がある。その成功体験や専門知識を語るのが講演会なので、その本業が職業だろう。だから今まで「講演家」という職種はなかった。そもそも職業とは…【続きはこちらから】
2022年 2月28日 2919号
そうして明日も生きていく
マゴソスクール主宰
早川 千晶さん
スラム街初の学校を創る~孤児たちの道しるべのために
…私が暮らしているのは東アフリカのケニアの首都・ナイロビです。住み始めてもう33年になります。今や高層ビルが立ち並び、人口は500万人以上です。そんなナイロビの中心地から車で約10分のところにあるのがスラム街「キベラスラム」です。掘っ立て小屋がびっちりと建ち並び、ものすごい人口密の状態で人々が生きている街です。新型コロナウイルスの影響はこのキベラスラムでも深刻です。水も石鹸もなく…【続きはこちらから】
社説
逃げない覚悟、忘れない生き方
中部支局長 山本 孝弘
…㈱アンプリライブの社長・今井浩詞さん(62)は、小学校低学年の時に見た光景が今も脳裏に焼き付いている。母親が先生に頭を下げて謝っている後ろ姿だ。見ているのがつらかった。学校のガラスを誤って割り、そのまま逃げ出したことが後で先生に発覚して母親と呼び出されたのである。「逃げることはこんなにつらい思いをするのか。僕はこれからもう逃げない」その時、自分にそう誓ったという。…【続きはこちらから】
2022年 2月21日 2918号
シベリアのバイオリン
ピアノ教師/静岡県文学連盟所属
窪田由佳子さん
「自由に弾きたい」その一心で満州へ
…父の話に入りたいと思います。窪田一郎は大正14年(1925年)、静岡市に6人兄弟の長男として生まれました。ちょっと変わった子どもで、小さい頃から機械いじりが大好きだったそうです。おもちゃを分解したり、作り直したりして遊ぶ少年でした。楽器も大好きで、最初はハーモニカに夢中になりました。いくつも吹きつぶすほどに吹いて、「街では結構有名なハーモニカ少年だった」と本人は語っていました。その後、一郎は…【続きはこちらから】
社説
生きる美を醸し出すのは死生観
魂の編集長 水谷もりひと
…役者「仲代達矢」をつくったのは間違いなく女優で、脚本家、演出家でもあった妻の恭子(やすこ)さんだろう。国民の娯楽が映画からテレビに取って代わった1970年代、映画は斜陽産業になった。映画会社に所属していた映画監督や大物俳優は次々に自分のプロダクションをつくって独立した。75年、仲代さんと恭子さんは役者の卵を育てる塾費無料の「無名塾」を立ち上げた。その時、恭子さんは言った。「これで…【続きはこちらから】
2022年 2月14日 2917号
海洋プラスチック問題最前線
一般社団法人ピリカ/株式会社ピリカ 代表
小嶌不二夫さん
海のごみはどこからやってくる?
…京都大学大学院へ進みましたが、大学院にはほとんど行かずに世界のさまざまな国を放浪しました。その中で僕は衝撃を受けました。僕が訪れたブラジルのジャングルの奥地からアフリカの砂漠まで、世界中のあらゆる場所でごみのポイ捨てが発生していたのです。僕は子どもの時に読んだ本の影響で環境問題にすごく興味を持っていたので、その光景を目の当たりにして…【続きはこちらから】
社説
「今」を励ます過去の自分、未来の自分
魂の編集長 水谷もりひと
…赤塚高仁(あかつか・こうじ)さんが動画サイトで話していた子ども時代の不思議なエピソードを思い出した。8歳の時のことである。赤塚さんの友だちは、銀行幹部や会社社長の息子たちが多かった。自分で選んだのではない。母親がそういう子たちに「うちの息子と遊んで」と頼んで、仲間に入れてもらったのだ。一緒に遊びながら、皆から疎(うと)んじられているように感じてはいたが、それでも赤塚少年はその中でいつもおどけていた。ある日…【続きはこちらから】
2022年 2月7日 2916号
セカンドキャリアへの道
國學院大學助教/フィギュアスケートソチ五輪選手
町田樹さん
氷上のアスリートから研究者の道へ
…私は小中高校生の間、一度も進路に迷ったことがなく、高校や大学はスポーツ推薦で入学することができました。(中略)僕は周囲の人たちと違って、もう就職したも同然だから、フィギュアスケートをやめずにいれば生涯安泰だ。みんなは将来何になりたいか悩んでいるが、僕にはすでにフィギュアスケートがある―いま思い返すと、滑稽なほど愚かな考えなのですが、当時は本気でそのように考えていました。ところが、…【続きはこちらから】
社説
何度も何度も、毎日毎日、繰り返し
魂の編集長 水谷もりひと
…「口を酸っぱくして言う」という表現がある。「同じことを、何度も繰り返し述べる」という意味である。立場を入れ替えた表現だと「耳にたこができる」だが、こちらは「繰り返し聞かされて嫌になる」という意味を含んでいる。いずれも、それくらい何度も何度も繰り返し言わないと、本当に伝えたいことや大事なことは伝わらないということである。コロナに関して言うと、どのメディアも連日トップニュースで報じるので、その情報は全国民に行き届いている。いのちに関わる情報だからだろうか?だとするなら、…【続きはこちらから】