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取材ノート 2760号(2018/10/01)
帰郷を決めた29歳の夜

中部特派員 山本孝弘
 先日、ナゴヤドームに野球を観に行きました。今はなかなか行けませんが、プロ野球を生で観た回数は300回近いと思います。そのうち3分の1は敵地での観戦です。 

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 20代の10年間、私は東京で一人暮らしをしていました。その間のドラゴンズは強いのか弱いのかよくわかりませんでした。というのは2位になることが多くてなかなか優勝できなかったのです。

 ドラゴンズファンは周りに誰もおらず、野球の話になると本気で喧嘩になるので、東京生活の途中から周りに隠れてファンをし続けていました。

 その頃の楽しみは、関東にやってきたドラゴンズを応援に行くことでした。東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアム…、どれだけ行ったかわかりません。

 リュックに応援バットを2本入れ、ドラゴンズのウィンドブレーカーを着こんで電車に乗ると目立ちましたが、快感でした。「関東中のドラゴンズファンが、今いろんな電車で球場に集結しているんだなぁ」。そう思うと妙な感動を覚えました。

 ビジター球場のレフトスタンドは独特の雰囲気があります。普段仲間がいないドラゴンズファンが大勢集まったあの異空間が私はとても好きでした。

 勝った試合の後は「燃えよドラゴンズ」の大合唱が延々と続きました。

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 東京で暮らしていた私は「ドラゴンズが優勝するまでは地元に帰らない」と決めていました。愛知へ帰るタイミングを見失っていたので、それをきっかけにしようと思っていたのです。

 上京して10年目の1999年。ドラゴンズは開幕戦から11連勝しました。ほぼ首位を走り続け、お盆が過ぎるといよいよ優勝が現実味を増してきました。

 「東京生活は今年が最後になるな」と思いました。

 そして9月30日。この日ドラゴンズは神宮球場でスワローズを破り、星野監督が胴上げされました。

 球場には行けませんでしたが、勝つ瞬間は家でテレビを観ることができました。星野監督の優勝インタビューが今も忘れられません。

 「こんなにたくさんのドラゴンズファンが東京にいたなんて知りませんでした!」。私にはとても重い言葉でした。

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 春には愛知に帰る。そう思うと隠れファンをしていた日々の悔しさが走馬灯のように駆け巡りました。当時は塾講師をしていましたが、今年度で退職する旨を明日上司に告げようと思いました。

 その日の東京の天気予報は雨でしたが、見事に外れ、夜は綺麗な星空が広がりました。
 誰もいないアパートで、一人ビールを浴びながら涙を流した29歳の夜でした。

(中部特派員/山本孝弘)
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