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取材ノート 2763号(2018/10/22)
恨む時間がもったいない

中部特派員 山本孝弘
 昨年6月、みやざき中央新聞の特派員研修で初めて鹿児島空港に降り立ちました。その時、見覚えのある男性がロビーを歩いていました。後ろ姿を目で追いながら記憶をたどるのですが、どうしても誰だか分かりません。

 半日後、不意に思い出しました。その男性は平成6年に起きた松本サリン事件で誤認捜査された河野義行さんでした。

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 私が住む愛知県豊橋市で生まれ育った河野さんは、現在は鹿児島県霧島市で暮らしています。

 長野県松本市に居を構えていた44歳の時に事件は起きました。警察は河野さんを被疑者として扱い、マスコミは連日あたかも彼が犯人のように報道しました。

 河野さん宅には毎日マスコミが押し寄せるだけでなく、悪戯電話や脅迫状も相次いだといいます。サリンの被害を受けた妻・澄子さんは意識不明になっていました。

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 平成18年のある日のこと。河野さんの自宅にある人物が訪ねてきました。彼はサリン噴霧車を製造したことで懲役10年の刑を受け、その刑期を終え出所したばかりのFという男性でした。

 河野さんは彼の謝罪を快く受け入れました。その「受け入れる」レベルが尋常ではありません。彼が剪定が得意だと知ると、河野さんは自宅の庭の手入れの一切を彼に任せました。

 「好きな時にいつでも来てくれ。出張でいなかったら鍵はあの場所にある。冷蔵庫にビールくらいは冷やしておくから勝手に飲んでくれ。遅くなったら泊まっていっても構わない」

 剪定に訪れる時、Fは必ず妻の澄子さんが好きだった百合の花を持ってきたそうです。そして河野さんの子どもたちもFを受け入れ、食卓を囲みました。

 著作を読み、素朴さの中から湧き出る河野さんの人間愛に深く共感しました。

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 「あのバッシングの中を耐えてこられたのはどうしてでしょうか」

 河野さんは、講演会でそんな質問を受けることもあるそうです。

 彼は答えます。「妻は寝たきりでした。結局意識を取り戻すことなく、事件から14年後に死にました。でもこれだけは言えます。妻は僕の側にいてくれました。僕は毎日妻に励まされていたんです。妻が僕や子どもたちを支えてくれたんです」

 妻の無言の励ましを受けて世間の攻撃と戦ってきた河野さんは、さらにこう語ります。
 「人生に与えられた貴重な時間を、人を恨むことに費やしたくない。恨むことにエネルギーを使うくらいなら、もっと有意義なことに使いたい」

 今ある状態に感謝し、日々幸福を感じているという河野さん。その心持ちにあやかりたいと思います。

(中部特派員/山本孝弘)
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