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転載・過去・未来 2674号(2016/12/05)
その9 人の心に花一輪~堪えきれず涙がポロリと落ちた時…~

落語家 桂小金治
 僕のおやじは昭和27年5月11日、61歳の若さでこの世を去りました。

 おやじは死ぬ時、僕を枕元に呼んでこう言いました。

 「無理して俺の葬式を出さなくていいよ。うちが貧乏だってことは世間みんなが知っている。俺が死んだら、布に包んでリヤカーに乗っけて、そのまま火葬場へ持ってけ。景気の良さそうな葬式があったら、『ついでに焼いていただけませんか』って焼いてもらえ。その代わり墓を作って、俺とおじいちゃんおばあちゃんを入れてくれ。ただその前にお客さんが来てもびくともしない家を作れ。母ちゃんを大事にしろよ。妹と仲よくしろよ」

 息を引き取る寸前まで僕のことを案じ、生きる道を教えてくれたおやじにありがたい気持ちでいっぱいでした。

 僕は落語の師匠に電話を掛け、「ご心配おかけしました。おやじは今朝死にました。遺言で葬式は出しません」と言ったら、師匠が「お前のおやじの葬式のお金はわいに出させろ。カイカイの礼や」と言ったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「カイカイの礼」というのは、師匠はよく体中にブツブツが出て、それがかゆいので「カイカイ」と呼んでいたんですね。

 僕はいつも師匠の体に油薬を塗って天花粉(てんかふん)で押さえ、着物が汚れないようにさらしの服を着せ、その上から着物、袴を身につけさせて、高座へ上げていました。

 高座を下りた師匠が風呂に入っている間に、そのさらしの服を洗います。でも油を吸っているので、一晩バケツのお湯に浸けて翌朝洗うのです。1日に2枚ずつ洗うのが僕の仕事でした。

 風呂から出た師匠の背中に僕はまた薬を塗り、前に回ってお腹や腕や足にも塗ります。そして大事なところにも、「失礼します」と一言断って、特に裏のほうは入念に塗るのです。

 すると師匠は天井の一角を見上げながら、「すまんなぁ。かかぁにもさせんようなことさせて」といつも言います。その度に師匠の目に涙が溜まっていました。

 まぶたで堪(こら)えきれない涙がポロリと落ちるのを見た時、「あぁ、おやじが言ってた『人の心に花一輪』ってこれだ。俺は今、師匠の心に一輪の花を咲かせることができた」と思ったものでした。

 「人生、人との出会いだよ。別れる時に相手の心にトゲを残すな。花を残して別れてごらん。その花に実りが来て、おまえのところに帰ってくるんだよ。『人の心に花一輪』を忘れるな」、そう教えてくれたおやじの言葉が初めて理解できました。

 こんなことがあって、師匠は「カイカイの礼や」と、おやじの葬式を出してくれたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 葬式の日、僕の家には14もの花輪が届きました。花輪に包まれてわが家が見えなくなった時、「これで親父は極楽往生してくれるなぁ」と思いました。

 僕は弟子として師匠の体に薬を塗るという、当たり前のことをしただけです。この「当たり前」に花が咲きました。でも最近は当たり前のことを当たり前にする人がだんだん減ってきているそうです。

 「先人の声は道しるべ」です。若者の中には、「古いんだよ、時代が変わったんだよ。うるせぇなぁ」と先輩の言葉を聞かない人がいます。

 しかし、どう時代が変わっても人間の基本は変わりません。経験者の言葉は温かく、ときには耳に痛いかもしれません。

 でも『良薬は口に苦(にが)し』、苦くて痛い言葉が効くんです。その言葉を心に留めて生きる人と、何も聞かない人とでは、人生どこかで差が出るんじゃないでしょうか。

(2000年1月24日号より)


★このコーナーは過去25年のバックナンバーの中から選りすぐりの記事に加筆し、読み切りで転載しています。
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