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転載・過去・未来 2742号(2018/05/21)
その74 たこ焼きに賭けた夢~私の独立はこうして始まった~

㈱八ちゃん堂社長 (当時 川邊義隆
 私はかつて120名の社員を抱える自動車ディーラーの大分営業所長でした。社長である親父から後継者としての特訓を受け、懸命に車を売っていました。

 一生この業界で生きていくつもりでした。朝礼ではいつも中古車販売目標の達成を叫びました。

 そんなある日、ふらっと入ってきた男性のお客様が「新車が欲しい。その車でたこ焼きを売り歩きたい」と言われたのです。

 その一言に私は衝撃を受けました。そしてそれから、「俺はこのまま行けば、いずれ父の跡を継ぎオーナー経営者になる。でも本当にそれでいいのだろうか?」と考えるようになりました。

 実は、私にはこの業界で働きながらずっと心に引っかかっていたことがあったのです。

 車というのは販売網が縦割りですから、お客様はお店で他社メーカーの車を選ぶことはできません。この「お客様本位でない」という歯がゆさが、私が「この業界とさよならしよう」と思った一番の理由でした。

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 本気で創業を考えた私は、やりたいビジネスを考えるようになりました。

 そして行き着いたのが、「たこ焼きを和風ファーストフードとした商売をやっていきたい」でした。

 当時、子どもはまだ小さく、貯金もありませんでした。そこで意を決し、妻に相談しました。

 すると妻は、「ひょっとしたらいけるかもしれんね。やりましょうよ」と賛成してくれたのです。それで私の腹が決まりました。

 会社に辞表を出すと、当然ですが親父は烈火のごとく怒りました。「おまえは会社の跡取りの一人息子だぞ。移動販売で町々を売り歩くたこ焼き屋だと? 世間はそんなに甘くない。絶対許さん!」と言われました。

 私がどんなに説明しても、明治生まれの親父は認めてくれませんでした。でも、最後にはこう言ってくれました。

 「おまえがそこまで言うんだったらやってみろ。ただし、俺の懐はびた一文当てにするなよ!」

 今考えると、それがとてもありがたかった。「金はいくらでも出すから」なんて言われていたら、果たして今まで27年間、いろんな苦労があった中で、乗り越えることができただろうかと思うのです。

 「やっぱり父親というのは、反対する時はガンとして反対していいんだ」と学びました。

 そのことで不退転の決意が固まった私は、「やり通すしかない」という気持ちになりました。

 こうして周囲の大反対を押し切って、八ちゃん堂はスタートしました。昭和52年2月12日のことでした。

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 私が「たこ焼き屋をやろう」と決心した裏には、常日頃から目を皿のようにして新聞・雑誌、テレビなどさまざまな情報に目を向け、「何とか情報を得たい」という強い意識がありました。

 つまり、決断の裏には情報があったのです。「俺は創業したい。何かビジネスを起こしたい」と念じながら生活をし、「必ず自分はそうなる」と信じ、真剣に情報に接していきました。だから私は目の前を通り過ぎる情報を逃がさず掴むことができたのです。

 移動販売車から始まった私の会社は、その後冷凍たこ焼き、冷凍お好み焼きの製造販売を始めました。そして平成8年にはベトナムに子会社を設立し、平成14年には東京と福岡に営業所を開設するまでに広がっていきました。

(2003年5月26日号より)

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