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転載・過去・未来 2748号(2018/07/02)
その80 心を下座に置く~良き縁との出会いが成功のカギ~

真栄寺住職 馬場昭道
 ある時、京都で便所掃除をすることになりました。この便所掃除のことを「行願(ぎょうがん)」といいます。

 小さなバケツにたわし一つと雑巾2枚を入れ、一軒一軒回りました。玄関先で「便所掃除をさせてください」と言うのですが、大概断られます。

 最初のうちは断られてほっとしていました。でも十数軒断られ続けますと、「次はなんとかして掃除させてもらおう」と思うようになります。

 さらに回ると、「いろんな断り文句があるんだな」ということを感じるようになりました。

 たとえば、「修行といえども、そんなことを人様にさせたら国の母に叱られます」と24、5歳の女性から言われました。私はとても驚きました。「相手の心に素晴らしい余韻を残すこんな断り方もあるものなんだなぁ」と感心したのです。

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 さらに進んで25、6歳の男性の家を訪ねました。

 その方は、「うちの便所は汚いですから」と何度も辞退されました。 私も負けじと、「いや、汚ければ汚いほど修行になります」と粘り、ようやく掃除させてもらえることになりました。

 しかし、いざ便所を見てみると本当に汚いのです。天井を1回拭くだけで、もう雑巾を洗わないといけない。2回拭くとバケツの水を入れ替えないといけないほどでした。

 何度もバケツの水を入れ替えに行くうちに、私の心に、「他人によくこんなに汚い便所の掃除を頼むもんだな。自分だったらよう頼まんのに」という気持ちがふつふつと湧いてきました。

 先ほど自分から頼み込んで掃除させてもらったのに、自分が思っていた以上に汚いと、今度は相手を非難する気持ちが湧いてきたのです。

 しかしなんとか掃除を終えて、「いい修行になりました。ありがとうございました」とお礼を言いました。「これでは二重人格者だな。自分の心が写し出されたらどんなに恥ずかしいことか」と思いました。

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 でも、この行願の経験を通して、「心を下座に置く」ことの大切さが私にはよく分かりました。

 それまで、どんなに禅宗の本を読んでも、その真意が私には分かっていませんでした。「何が便所掃除だ、何があいさつだ、冗談じゃない。こんなことをして心が開けるものか」と思っていたのです。

 その感情が「ありがとうございました」とお礼を言った瞬間、サーッと解けていったのです。

 私たちは生きている限り、睡眠欲や食欲、性欲などの欲を背負っていかなければなりません。この欲望がいろんな「縁」に触れ、間違いを起こします。自分を思うように動かせなくなるのです。

 これは知識や経験ではなかなか解決できません。よく「魔が差した」とか言われますが、「縁」に触れたら何を仕出かすか分からない自分であることを、私たちは腹に据えておく必要があります。

 たとえば、かつて戦争という「縁」もありました。その時は敵を殺せば殺すほど勲章がもらえました。ところが終戦という「縁」を境に殺人は罪になったわけです。つまり私たちは、この「縁」によってどうにでも変わっていくということです。

 逆に言えば、自分が良いことをしても天狗にならず、「それは『良い縁』と出合えたからできたのだ」と思うことです。

 こういうことを腹に据えながら、いかに良い縁と出合っていくかを求めていくことが成功のカギになるわけです。

(1993年8月16日号より)

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