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転載・過去・未来 2794号(2019/06/24)
その120 育ち愛の足跡~病むことで息子を育てた亡夫~

児童文学作家 宮川ひろ
 孫(息子の長男)が大学生になりました。この子がまだ小さかった頃、「一体どういう子になるんだろうねぇ」と、息子と話をしたことがあります。

 その時に、息子はこう話していました。

 「何でもできる子じゃないほうがいい。頑張っても頑張ってもできないものが二つ、三つあって、その劣等感に潰されずに、『これだけはできるぞ』っていうものがあればいい。それは、点数になるものじゃなくていい。その子がそこにいるだけで雰囲気が明るくなるとか、給食の台拭きを上手にしぼれるとか、何か一ついいことができる子がちょうどいい。そのほうが謙虚になれるし、できない人の悲しみも分かるし、とても生きやすい」

 その言葉を聞きながら、「この子、こんなこといつ悟ったんだろう」と思いました。

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 「あのことだろうなぁ」と思い当たる節が一つあります。

 夫は50代になってすぐ脳梗塞で倒れました。息子が中学2年生の時でした。

 大正生まれの夫は、「男は外で仕事をするもの。女は家を守るもの」という価値観を持っている人でした。だから外で働けなくなってとても辛かったと思います。

 私はその思いを受け止めながら、デビュー作の『るすばん先生』(ポプラ社)を出版したり、外へ仕事に出たりしていました。

 夫は、私が帰ってくるといつも文句を言いました。私はずっと我慢していました。

 ある日、ブツブツ言う夫にとうとう耐えられなくなって、高校2年生になった息子にこんなことを言いました。「お母さん、この家、出て行こうかな」

 私は「きっと息子は『僕はお母さんについていくよ』と言ってくれるだろうな」と思っていたんです。

 でも、息子は言いました。

 「お母さん、大変だったら出て行ってもいいよ」

 「じゃあ、おまえはどうやって暮らすつもり?」と聞くと、「この家を売る。そのお金のある間、僕は学校へ行く。お金がなくなったら仕事をして、僕がお父さんの面倒をみる。お父さんは僕には甘えないし文句も言わないから大丈夫。だからお母さんは大変だったら出て行っていいよ。お母さんも、働けなくなったら僕のところに帰ってきてね」って。

 そう言った後、息子は180センチもある大男なんですけど、テーブルの上に顔を伏せてワーッと声を上げて泣き出したのです。

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 私はびっくりして、「ごめん、ごめん。病気のお父さんを置いて出ちゃったら人間じゃなくなるよね。本気じゃなかったよ。ただ言ってみたかっただけなの。これからできるだけの看病をしていこうね。助けてね」と謝りました。

 その時から、息子とは親子というよりは父親を看る同志のような関係になりました。

 夫は、その後12年患って、みんなに助けていただいて天国に召されました。

 精一杯見送らせてもらったので、今は本当に気持ちが楽です。「息子のあの時の涙がなかったら…」と思います。

 私は、病人を看たり息子を育てたり、「ずっと一人で頑張ってきた」と心のどこかで思っていました。でも息子のあの言葉を聞いた時、「病むことで、命の灯を早く消すことで、人間として一番大事なところを、あの父親は育ててくれていたんだな」と、私は今そう思っています。

(2008年6月2日号より)


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