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転載・過去・未来 2795号(2019/07/01)
その121 耳をすませば~青年は、月の声を聞いたのだと思う~

歌人 小島ゆかり
 ある予備校で小論文の臨時講師をしていた時、クラスにちょっと変わった生徒がいました。

 彼は、超有名高校を超いい成績で卒業し、ご両親は東京大学への進学を望んでおられました。

 でも、彼は青春期特有のある抵抗感に満ちていて、予備校をさぼってアルバイトやゲームセンターに行き、二浪してしまいました。

 ご両親もたいへん心配し、担当の講師と本人とを交えて何度も面談を行いました。けれど、なかなか意思の疎通ができないようでした。

 ある日、私はたまたま彼の面談の様子を見てしまいました。先生もご両親も一生懸命、真剣に話をしているのに、彼はそっぽを向いて全然聞く耳を持ちません。それを見た時、どうにも腹が立ち、彼に手紙を出しました。

 「君がどんなに頭が良くても、そんなに心を閉ざしていたら誰も寄って来ない。人が寄って来ない人に幸福な未来は絶対にあり得ない。なぜなら、誰も一人じゃ生きられないんだから」と。

 彼の抵抗感は、それはそれで結構。けれども大人が彼の将来について真剣に話をしているのに、そっぽを向いているその態度がどうしても許せなかった。

 でも案の定、その怒りの手紙に対しても、なしの礫(つぶて)でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ひと月くらい経った時、ひょっこりその子が授業に来ました。

 相変わらず、ノートをとるわけでもなくブスッとして教室の隅に座っていました。
 授業が終わって廊下に出ると彼が追いかけてきて、「先生、俺、ちゃんと勉強するよ」と言うのです。

 「あら、どういう風の吹き回し? 急に親孝行になったの?」と言うと、彼は「親なんて関係ねぇよ」と言いました。

 そして、ちょっとすねたような言い方で、「先生、この間バイトの帰りに、すごいでっかい満月を見たんだよ。あんなでっかい満月は生まれて初めてだ。あれを見て急に心が変わったんだ」と言うのです。

 そして、ついでのように言いました。

 「先生もたまには月でも見ねぇと、つまんねぇおばさんになっちゃうぞ」って。

 「まぁ小憎(こにく)らしい」とは思ったけど私はとても嬉しく思いました。2年以上付き合ってきて、彼が初めて私の顔を見て話したからです。「あぁ、何かが通じたんだな」と思いました。

 たぶん、彼は彼なりに大変苦しんで迷って、切ない気持ちでいたのです。だって自分のことだもの。

 でも、切なくて、どうしていいか分からない。抵抗感もある。そんなグラグラしている状態の時に月を見た。

 たぶんそれは、これまでに何回も見ていた、ごく普通の満月だったのです。でもその満月が、何か不思議な輝きを彼に見せてくれたのでしょう。もしかしたら本当に、満月は彼に何かを語りかけたのかもしれません。

 彼はきっとその時、祈るような気持ちで見ていた。だから彼には「月の声」が聞こえたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 それが転機になり、彼は元々優秀な学生さんでしたから、翌年東京大学に入りました。

 彼がそのように一生懸命乗り越え、その彼と心が触れ合えたという事実は、私に大きな勇気を与えてくれました。ですから、彼にはとても感謝しています。

(2001年2月5日号より)


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