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転載・過去・未来 2801号(2019/08/19)
その127 太郎さんの挑戦~この子が大人になるまでに~

魂の編集長 水谷謹人
 昭和初期の話である。山口県の、とある集落に、近所の子どもたちから「浜名の兄ちゃん」と慕われていた小学6年生の少年がいた。心優しく、親孝行で、リーダーシップもあった。小学3年生の義正少年は彼を実兄のように慕っていた。

 ある日、小学校の朝礼で校長先生がある集落の児童会活動を褒めた。「戦争で戦っているお国の為に役立ててください」と言って、自分たちの小遣いを出し合って寄付をしたというのだ。

 その話を聞いた浜名の兄ちゃんは「俺たちもやろう!」と奮起した。貧しくて小遣いなどなかったので廃品回収した鉄くずをお金に換え、翌日、その集落の児童会を代表して、校長室に持っていった。

 校長は開口一番こう言った。「この金、どこから盗んできた?」

 彼はみんなで廃品回収したことを説明した。しかし、校長の次の言葉が彼の自尊心を粉々に打ち砕いた。「部落民がそんなことするわけがない」

 その日を境に浜名の兄ちゃんは変わった。愚連隊に入り、やがて極道の世界の人間になった。賭博でのいざこざが原因で刺され、20代そこそこで死んだ。

 彼を慕っていた義正少年も気がついたら前科15犯になっていた。

 時代はゆっくりと高度経済成長期に向かっていた。

 義正さんは結婚し、5人の子どもに恵まれた。四男には「太郎」と名付けた。そして、差別のない社会を目指す市民運動を始めた。

 生まれたばかりの太郎を抱いて活動した。その姿を見た一人の詩人が『タローが恋をする頃までには』という詩を書いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 
 物心ついた時、太郎さんは父親からその詩を渡されたが、まだ幼過ぎて、詩の意味を理解できなかった。

 高校生の時、太郎さんは父に誘われ「猿まわし芸人」を目指した。その地域に古くから伝わる伝統芸能だったが、60年代に後継者がいなくなり、途絶えていた。それを復活させたいという夢を持った。

 80年代、「次郎」という子ザルとコンビを組みテレビで活躍するようになった。88年には子ザルの「反省ポーズ」がブレイク、91年には文化庁芸術祭賞を受賞した。

 2006年、テレビの仕事が縁で、太郎さんはフジテレビのプロデューサー・栗原美和子さんと出会う。やがてお付き合いが始まり、太郎さんは結婚を意識するようになった。

 プロポーズする際に、太郎さんにはどうしても言わなければならないことがあった。その時、彼の脳裏を横切ったのが、子どもの頃に父親からもらった詩集だった。赤ん坊の太郎さんを抱く義正さんの胸中にあった「この子が大人になっていつか恋をし、結婚を考える日が来るだろう。その頃までには結婚差別をなくしたい」という思い、あの詩の意味が分かった。

 「俺の家族の歴史を聞いてくれないか」と切り出し、栗原さんに自分が被差別部落の出身であることを打ち明け、プロポーズした。

 結婚後、栗原さんが最初に出した私小説『太郎が恋をする頃までには…』は、事実上の告白本だった。すでに有名人である村崎太郎さんがそのまま受け入れられれば社会は変わるという期待を込めて出した本だった。

 しかし、裏目に出た。その日を境に太郎さんのテレビの仕事は全てなくなった。

 マスメディアから解き放たれた太郎さんは今、「次郎」と共に日光さる軍団で活躍しているそうだ。

 この国の先人たちは、小さないのちが生まれると、「この子が大きくなるまでには…」と思いながら、少しずついい国にしてきたのだと思う。今もまだその途上にある。次の世代にこの想いを託したい。

(2011年8月15日号社説より)


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