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転載・過去・未来 2805号(2019/09/16)
その131 遥かなる約束~愛情と切なさと苦悩と感謝~

魂の編集長 水谷謹人
 北九州市で開催されている志帥塾で『クラウディア・最後の手紙』の著者で、ドラマ『遥かなる約束』(主演・阿部寛)のモデルになった蜂谷弥三郎さん(2015年没)が講演された。

 1945年8月、27歳の蜂谷さんは朝鮮半島で終戦を迎えた。終戦直後の混乱の中、南下してきたソ連軍に拘束された。

 生後8か月の娘・久美子を抱いて立ち尽くす妻・久子さんに「2、3日で帰ってくる」と言うのが精一杯だった。

 蜂谷さんは身に覚えのないスパイ容疑に問われた。「武器はどこに隠した?」「作っていた爆弾はどこにある?」、拷問のような取り調べが毎日続いた。

 受けた暴力で左耳と左目の機能を失った。弁護人なし裁判で「強制労働10年」の刑が確定した。

 シベリアの強制収容所は地獄だった。その中で蜂谷さんは腎臓病を患い、足の裏は歩けないほど腫れあがった。蜂谷さんは「作業班」から、死を待つ人たちの「衰弱班」に移された。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 そんな中、蜂谷さんはあることに気が付いた。医師や理髪師など技能を持っている囚人は優遇されていたのだ。蜂谷さんは理髪所を覗き込み、理髪の技術を頭に叩き込んだ。

 ある日、ロシア人の理髪師に「できるか?」と声を掛けられた。蜂谷さんは髭剃りを頼まれた。慎重に、丁寧にやった。

 当時、心を込めて仕事をするロシア人などいなかった。蜂谷さんは散髪した後、マッサージをしてあげた。これが評判となり、蜂谷さんを指名する人が増えた。

 囚人らは何か所も収容所をたらい回しにされ、最後は「地上最悪の流刑地」といわれていたマガダン収容所に移された。そこでも蜂谷さんは理髪師として懸命に働いた。そこで収容所の副所長の心をつかみ、刑が7年に減刑された。

 1953年、刑期を終えて出所したが、帰国の許可はどんなに交渉しても下りなかった。

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 マガダン市で理髪師として働いていたある日、ロシア語で「マガダン市 日本人 蜂谷弥三郎」とだけ書かれた小包が届いた。

 開けてみた。心臓が止まりそうだった。お茶や石鹸などの生活用品と一緒に、母親や妻、娘の写真が入っていた。そして一枚の紙きれにこう書かれてあった。「オトウサンニ アイタイ ハヤクカエッテキテクダサイ クミコ」

 「生後8か月だった娘がこんな手紙を書けるまでに大きくなったんだ」、蜂谷さんは人目もはばからず声を上げて泣いた。

 さらに7年の月日が流れた。蜂谷さんは42歳になっていた。
 
 クラウディアという女性に出会った。蜂谷さんと同じように過酷な運命を歩んできた人だった。「日本に妻と娘がいる」と話すと、彼女は言った。「あなたが家族と再会するまで一緒にいさせて」

 二人は結婚した。結婚生活は筆舌に尽くしがたい日々だったが、37年という歳月を共に歩んだ。 

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 1991年、ソ連崩壊。一気に自由化の波が押し寄せた。

 97年、50を過ぎた娘の久美子さんがロシアを訪れ、その後、蜂谷さんは帰国、80を過ぎた妻、久子さんと再会した。

 実は、蜂谷さんの情報を日本の政府に伝え、彼を帰国させようと動いたのはクラウディアさんだった。「37年間、あなたと過ごせて幸せだった」、そう言って彼女は蜂谷さんとの別れを決断した。

 
(2006年8月21日号の社説より)


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