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転載・過去・未来 2812号(2019/11/11)
その138 いま命輝いて(後編)~「野尻家に生まれて本当によかった」~

熊本県いのちの講演会顧問 野尻千穂子
 私は胸から下の感覚がなく、車椅子で生活をするようになりました。そして20歳の時、一人暮らしを始めました。

 そんなある日、お見合いをすることになりました。相手の男性は、両脚の股関節がなく、歩くのが不自由な方でした。

 初めて会った人なのに、彼と目が合った瞬間、「私はこの人と結婚するな」と思いました。そして結婚しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 数か月後、私はお腹に一つのいのちを宿しました。

 しかし病院の先生からは、「母胎が出産まで持つか分からない。胸から下が麻ひしているお腹の中で正常に赤ちゃんが育つかどうか保証できない」と、中絶を勧められました。
 妊娠したことを話すと誰もが反対しました。

 でも私は「それってなんか違う」と思いました。「障がいを持って生きる人生はまんざらでもない」と実感していたからです。

 父も電話で、「千穂子の体のほうが大事かけん、赤ちゃんは産まんでほしか」と泣きながら言いました。

 私も泣きながら言いました。 「だってお父さん、『障がいがあっても胸を張って生きていけ』といつも言ってくれてたじゃなかね。お腹にいる赤ちゃんに障がいがあってもなくても関係ない。私のところにやって来たいのちだから、私は守れるだけ守りたい」と。

 でも父はなかなか納得してくれませんでした。

 しかし、夫だけは賛成でした。

 「産みたかったら産んだらよか。障がいがあってもそれはそれでよか。その時は『仲間が一人増えた』と思って力を合わせて生きていこう」と。

 私はお腹の赤ちゃんに語りかけました。「お父さんが産んでもいいって。二人で頑張ろうね」と。

 奇跡が起きました。お腹の中で赤ちゃんは10か月間無事に育ち、しかも自然分娩で産まれてきたのです。

 赤ちゃんの「オギャー」という産声(うぶごえ)を聞いた時、私は天を仰ぎ「ありがとうございました」と感謝しました。

 私たちは赤ちゃんに、「さおり」と名前を付けました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 さおりが11歳の誕生日を迎えた夜のこと。「お母さん、私が生まれた時、嬉しかった?」とさおりが聞いてきました。私は「そりゃ嬉しかったよ」と答えました。

 そして、さおりが生まれるまでのいきさつや周りの人たちの心配をすべて正直に、言葉を選びながら話しました。

 さおりは、最後まで黙って聞いていました。そして思いがけない言葉を言いました。

 「お父さんお母さん、私はどの家よりもこの野尻家に生まれてきて本当によかった」

 わずか11歳の娘が、障がいを持つ私たち親に向かってそう言ってくれたのです。

 幼い娘から「高い高いしてよ」とせがまれても、夫はそれをしてあげられる体を持っていませんでした。

 「私たち、親になって本当に良かったのかな」と、二人で悩んだことが何度もありました。

 でもいつも、「さおりが『私は愛されている』と実感できる育て方をしようね」と二人で誓ってきました。その私たちの気持ちを、さおりはしっかりと受け止めて育ってくれていました。

 私はその夜、嬉しくて嬉しくて眠れませんでした。

(1999年5月31日号、6月7日号より)


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