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転載・過去・未来 2813号(2019/11/18)
その139 差別と偏見を超えて~生きること、愛することの意味~

魂の編集長 水谷謹人
 運転中、何気なく聞いていたラジオの声にだんだん胸が熱くなり、やがて涙で視界が霞(かす)んできた。

 その週のNHKの「ラジオ談話室」に出演していたのは『花に逢はん』(NHK出版)の著者で、ハンセン病回復者の伊波敏男(いは・としお)さんだった。

 伊波さんは昭和18年に沖縄で生まれた。14歳の時にハンセン病を発症した。当時ハンセン病患者は「らい予防法」(平成8年に廃止)により、社会から完全に隔離されていた。彼も家族から引き離され、沖縄の愛楽園療養所に入れられ、療養所内の学校で学ぶことになった。

 翌年、彼の書いた作文が文豪・川端康成の目に留(と)まった。ある日、沖縄を訪問していた川端は伊波少年に会いたいと愛楽園を訪ねた。歓談しながら伊波少年の手を取り、「たくさん書きなさい。自分の中にいっぱい蓄えなさい」と目に涙を浮かべて語った。

 別れ際に川端は「何か欲しいものはありますか?」と尋ねた。伊波少年は即座に「本です」と答えた。4週間後、本がたくさん入った段ボールが何箱も届いた。この出会いが伊波少年の人生を変えた。

 当時、ハンセン病患者は療養所から一歩も外に出られなかった。中学卒業後は療養所内の授産施設で働くことになる。

 しかし、中学3年の伊波少年は、内地の岡山県にハンセン病患者のための公立高校があることを知った。伊波少年は進学を夢見た。

 そして療養所内の自治会長に相談した。自治会長は目を合わせず、独り言のように「ここを脱走するしかないなぁ」と呟いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 当時沖縄はアメリカの統治下にあった。父親に相談すると知り合いのつてでパスポートを取得してくれた。脱走後の港までのルートも決まった。鹿児島県のハンセン病療養所は「受け入れる」と言ってくれた。

 脱走計画が進む中、伊波少年は高校受験に備えた。職員からロウソクの燃え残りをもらい、それを空き缶に詰めてランプを作った。 消灯後、押し入れを締め切り、ランプの明かりで受験勉強をした。

 療養所から鹿児島までの脱走劇は映画のようだった。その後、鹿児島の療養所の中学から岡山県の高校に進んだ。その高校時代の、一人の外科医との運命的な出会いにより彼のハンセン病は完治した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 社会復帰後、伊波さんは結婚し二児の父親になった。しかし当時のハンセン病患者に対する偏見と差別は厳しく、子どもの将来を考え離婚した。別れの日、8歳の長男が言った。「僕は父さんと行く」「だめだ」「どうして? 僕がまだ小さいから?」「そうだ」「じゃあ何年経ったら父さんのところに行っていいの?」「10年だ」。伊波さんは咄嗟(とっさ)にそう答えた。

 10年が過ぎた。一人暮らしの伊波さんのアパートに、18歳になった息子から電話があった。「約束の10年が経ちました。会いに行っていいですか?」ー。こいつ、覚えていたのか。伊波さんは驚いた。

 数日後、息子は伊波さんのアパートを訪ねた。彼は二つのことをお願いした。一つは自分の姓を「伊波」に戻していいかということ。もう一つは父親として大学4年間の授業料を払ってほしいこと。

 伊波さんは学費支援の約束をしたが、「血の繋がっていない子どもを育ててくれた現在の父親に感謝しろ」と姓を戻すことは許さなかった。

 らい予防法には政府の大きな誤りがあった。ハンセン病に対する差別と偏見は筆舌に尽くしがたいものがあった。それでも人間にはそれらを超える力があると思った。そして、生きることの意味、愛することの意味を、今の14歳に伝えたいと思った。

(1998年2月23日号社説より)


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