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転載・過去・未来 2815号(2019/12/02)
その141 避難所となった中学校~差別と闘った大人と生徒たち~

元神戸市立鷹取中学校校長 近藤豊宣
 阪神淡路大震災の時、避難所生活を余儀なくされた方が23万人いらっしゃいます。当時私が勤めていた鷹取中学校は最大級の避難所になりました。

 避難者の中には、地域で働いていたベトナム人130名をはじめ、在日韓国・朝鮮人300名、また被差別地域の人も100名ほどいました。

 ある時、避難所で差別的内容の落書きが発見されました。

 私たちはこれまで、学校教育や社会教育の中で「差別はいけない」とたくさん学習してきたはずです。なのに、生きるか死ぬかのギリギリの場面に置かれたこの状態の時でさえ、悲しいかな人間はまだ差別の思いにとらわれるのです。

 「校長、はよあいつら追い出さんか。日本人を守らんか」という電話が何度もかかってきました。差別する人とされる人との間ですさまじいケンカが起こったこともありました。近くの避難所では殺傷事件まで起こりました。

 仮設住宅の抽選に日本人が漏れ、朝鮮の人が当たった時、ある日本人が言いました。「校長、何であいつら朝鮮人に当たって、日本人のわしらには当たらへんのや」と。

 差別というのは本当に根深いところにあると思わされました。

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 でも、こんな差別と闘ってくれたのが学校の数名のPTAの役員、そして先生たちでした。

 彼らはあの落書き事件の時、避難所の方々を集めて訴えました。

 「互いに助け合って支え合ってこの避難所をやっていかなアカンじゃないですか。なのになぜケンカや差別をするんですか。なぜあんな落書きをするんですか」と。

 でも皆さんは納得しませんでした。すると、その場にいたほかの先生が立ち上がって言いました。

 「皆さん、関東大震災の時に5000人を超える朝鮮人の方が自警団に虐殺されたのを知っていますか。このままでは、この鷹取中学校でも同じことが起こりかねませんよ」

 そんなふうに大人たちが勇気ある行動を取る中で、今度は生徒たちも差別と闘うようになっていきました。

 ベトナム人や在日韓国・朝鮮人や被差別地域の人たちが、便所の横や運動場の隅っこや廊下など、条件の悪い所に「棲み分け」られていました。それを発見した生徒たちは、「最初にその人たちに食事や救援物資を持っていこう」と思いました。「差別されている人たちこそ一番に救わなければ」と決めたのです。

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 鷹取中学校の運動場には日本人のテントと朝鮮人のテントがありました。当初はお互いにとても険悪なムードが漂っていました。

 でも、PTA役員や先生、そして生徒たちが必死で訴えかけ、啓発活動をしていく中で、彼らは少しずつ変わっていきました。

 そして途中から朝食をお互いに料理し合うようになり、次第に仲良くなっていきました。

 こうして目に見える差別はなくなっていきました。差別と闘う行動が、差別する側とされる側のお互いの心を通じ合えるよう動かしたのです。

 生徒たちもきっと、「差別はいけない」という信念を持つことの大切さを、身をもって学んでくれたと思います。

 今回の震災、特に自分たちの学校が避難所になっていく中で、「私たち大人が人間として試された」という思いを持ちました。

 (1999年5月3日号より)


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