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転載・過去・未来 2843号(2020/07/13)
その163 いじめのない学校をつくろう!~日本初、障がい児のための学校を創った夫婦の物語

しいのみ学園創設者 曻地 三郎
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 私たち夫婦に長男・有道(ゆうどう)が生まれたのは昭和11年のことです。

 有道が1歳になる前、原因不明の高熱が続きました。病院を転々としましたが、行く先々で「脳性小児麻痺」と診断されました。

 どの病院でも「現代の医学では治せない」と言われました。帰りの電車の中で妻は黙ったまま、首や手足がダランとした長男をしっかり抱きしめていました。

 妻の頬を伝わる涙を見て、私は「医学に限界があっても親の愛情には限界はない。医者に見捨てられても私たちは見捨てない。この子を必ず歩かせてみせる。必ず一人前にしてみせる」と誓いました。

 私は当時、広島で学校の教員をしていましたが、退職して、福岡の有名な小児科医の先生を頼って九州大学医学部に進み、精神医学を学びました。

 有道は6歳になっても受け入れてくれる小学校がなく、9歳になってやっと附属小学校に入学できました。しかしクラスの授業や学校行事についていけず、クラスメイトからは「足が曲がっている」「歩き方がおかしい」といじめられました。

 中学生になるといじめは一層ひどくなり、2階の階段から突き落とされたこともありました。とうとう中学2年の時、自主退学を余儀なくされました。

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 昭和19年に長女・邦子が、昭和22年には次男・照彦が生まれました。

 照彦も1歳になる少し前の夏、急な発熱に見舞われました。ご飯を食べさせようとすると、棒が倒れるようにバタンと倒れました。それは11年前の長男と同じ倒れ方でした。「まさか照彦も脳性麻痺では?」と一瞬頭をよぎったものの、私も家内もその言葉が怖くて口に出せませんでした。

 大学病院に連れていったら、案の定「脳性小児麻痺」と診断されました。私たちは2人の障がい児を抱え、どうしたらいいか途方に暮れました。

 「一家心中すればこんなつらい思いをしなくてもすむ」と考えたこともありました。

 幸い長女の邦子は健康だったので、物心がつく年頃になると、母親代わりに有道や照彦の介助をしてくれました。

 中学校を自主退学した有道と、小学校に上がれない照彦は、家の近くを登校する小学生を見ながら、泣いていることがよくありました。

 ある日、有道が私に「僕は学校に行ったことがあるけど照ちゃんはまだ学校を知らない。照ちゃんを学校に行かせてやってください」と言ってきました。

 私は「有道があんなにいじめられたのに照彦にまでそんな目にあわせるのは忍びない。照彦のためにいじめのない学校をつくれたら…」と、妻とそんな話をしました。

 すると意を決した妻は、「あなたは教育をお願いします。資金面は私が何とかします」と言って、嫁入りの時に持たされた宝石類などをすべてお金に換え、当時まだ前例のなかった障がい児のための学校を立ち上げる資金を準備したのです。

 「造り酒屋」と「運送業」を営む妻の一族は、大反対でした。それでも妻は2人の愛する子どものために両親、親族を説得して断行したのでした。

 こうして昭和29年、障がい児のための『しいのみ学園』が誕生しました。13人の児童が入学しました。設立した後も、妻は自ら夜中まで内職して支えてくれました。

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 有道は、「学校ができたら僕を小遣いさん(現・用務員)にしてちょうだい」と言っていました。

 授業は小遣いさんが鳴らす鐘の音で始まります。有道が最初に通った小学校の小遣いさんも障がい者の方で、その方は体の不自由な有道を抱いて鐘を叩かせてくれていました。それで有道も小遣いさんに憧れていたのです。

 私は有道に、「しいのみ学園小遣い 曻地有道」と書いた名刺を作ってあげました。昭和29年4月8日の「しいのみ学園開園式」では、来賓お一人おひとりに、たどたどしい言葉で「僕、小遣いさんです。よろしくお願いします」とその名刺を出したのです。

 その時、私はかつて立てた二つの誓いを思い出して胸を熱くしていました。

 一つ目の「必ず歩かせてみせる」は十分に実現させてあげることはできませんでしたが、二つ目の「必ず一人前にしてみせる」は、その名刺交換をする堂々とした姿に報われた気がしました。

 福岡学芸大学(現・福岡教育大学)の学長さんが有道に「小遣いさんは園長先生と同じくらい大切な仕事です。頑張ってください」とお声を掛けてくださいました。

 学校では、小遣いさんの鳴らす鐘でみんなが働き出します。だから小遣いさんが一番偉いんですね。そんな有道の鳴らす鐘を聞きながら、我が家に笑顔が溢れました。

 障がい児は、心のケアをしなければ引きこもりなど非社会的な行動を引き起こすことがあります。障がい児の心が劣等感を源として重積、深化してしまうからです。

 だからその劣等感を教育の力で取り除いてやらなくてはいけません。私は子どもたちの振る舞いとその成長する姿を通して、情操教育の大切さを改めて実感しました。

 30年経って卒業生たちはどうなったか。施設の指導員になった子もいれば、名古屋の福祉大学を出て病院のソーシャルワーカーになった子もいれば、銀行に就職した子もいます。

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 しいのみ学園の子どもたちの成長物語は、本になり、それが映画化されました。映画は日本だけではなくアメリカ、フランス、ソビエト(現・ロシア)でも上映されました。

 (宮崎市で開催された「曻地三郎103歳の青春を語る」講演会にて/2009年8月24日号~9月7日号より)



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