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転載・過去・未来 2844号(2020/07/20)
その164 「お母さん、私と一緒にグレましょう」~困難から成熟していく家族

渡邊醫院ライフデベロップセンター /児童精神科医・副院長 渡邊久子
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 日本で15%くらいのお母さんが産後うつ病になるとの報告があります。

 そういうお母さんは、きちんとし過ぎるくらいきちんとしている「100点満点の真面目なお母さん」です。そして自分に対してとても厳しいです。

 ですから、私はお母さんたちにいつもお願いするのです。

 「雑草を育てるように子育てしてください。人と人の輪の中でまみれていくように育ててください。たとえ障がいがあっても、人と会ったり街に出ることを積極的にやってください」と。

 育児は感化です。いい音色を聴くと、心が感化されて美しい気持ちになりますよね。おいしそうな匂いを嗅ぐと、その感化を受けて幸せな気持ちになりますね。それと同じです。

 お母さんがニッコリすると、その感化を受けた赤ちゃんの脳が育ちます。だからお母さんは幸せでなきゃいけないのです。

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 旦那さんからいつも怒鳴られていた女性がいました。

 ずっと耐えてきたのですが、「もうやってられない」と思って、彼女は旦那さんに「この、おたんこなす!」と言いました。旦那さんは怒って3日くらい口を利いてくれなくなりました。

 彼女がとても落ち込んだ様子だったので、「大丈夫かな。家出でもするんじゃないかな?」と私は心配していました。

 でも、次の週になると彼女は明るい表情でやってきて、「夫は私の心の中で死にました」と言いました。

 それから奥さんは、旦那さんが「ただいま」と帰ってくると、「歩くお位牌が帰ってきた」と思うようにしたそうです。「給料まで運んでくるお位牌」と思うと、さらに楽しく思えてきたそうです。

 この方は、「夫を恨んで暗く生きるより、ユーモアで生きよう」と発想を変えたんです。

 「このブラックジョーク、怖いな」と思いながらも思わず笑ってしまいました。

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 次にダイちゃんのお話です。ダイちゃんは私の「恩師」です。

 ダイちゃんは生後2日目で「先天性表皮水庖症」と診断されました。水庖が体中に広がり、手や足がだんだん使えなくなっていく難病です。

 私が出会ったのはダイちゃんが6歳のときでした。お母さんはいつも真心を込め、ダイちゃんのお世話を完璧にしていました。

 15歳を過ぎて義務教育が終わると、ダイちゃんは丸一日家にいるようになりました。すると、お母さんがだんだんうつっぽくなってきました。

 ある日気が付くと、お母さんはダイちゃんの首に手をかけてしまっていました。そして、慌てて私のところに駆け込んできたのでした。

 お母さんは、愚痴一つ言わずに献身的にダイちゃんのケアをしてきたことを話してくれました。私はお母さんにねぎらいの言葉をかけたあと、言いました。

 「お母さん、もう100点満点の育児は終わりにしましょう。これからは私と一緒にグレましょう」と。

 するとお母さんから、今まで誰にも言えずにずっと溜め込んできた感情があふれ出してきました。それは本当に誠心誠意、頑張ってきた人だけが口にできる本音の言葉だと感じました。

 「今度、それを旦那さんに直接言ってみてはどうですか?」と私が言うと、「それは言えません。怖いんです」と言われました。

 お母さんはその後3年くらい、自分の本音と向き合う期間を過ごしました。そしてある時やってきた彼女は、「先生、私、夫に『くそじじい』って言っちゃった」と笑って言いました。

 それを聞いた旦那さんは、ムッとしながら奥さんを睨んだ後、すごく重たい声で「くそばばあ」って言ったそうです。そして二人で笑い合い、その後一緒に飲みに行ったそうです。そこから家族が変わりました。

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 ダイちゃんにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいます。お母さんは3人を健気(けなげ)に育てていきました。

 ダイちゃんは従来の病気の進行とともに皮膚ガンで体中を侵されるようになり、寝たきり状態になりました。

 余命わずかであることを告げられた家族は、20歳になったダイちゃんの成人式を祝うことにしました。

 「ダイスケ、お前ももう一人前の男だ」

 そう言ってスーツとネクタイを見せると、ダイちゃんは嬉しそうに笑いました。

 私は、ダイちゃんのお母さんを「赤ちゃんと家族のための国際会議とチャリティコンサートを開くので来て!」と誘いました。すると、それまで寝たきりだったダイちゃんが、「車いすに乗ってボクも行く」とお母さんについて来たのです。

 瀬川祥子(せがわ・さちこ)さんというバイオリニストがすごい音色で演奏しました。車いすのダイちゃんは狂ったように演奏に聴き入り、「お母さん、あの人の汗まで飛んできたよ。あの細い腕ですごいよね。ボク、これからも頑張って生きようと思った」と、とても興奮しながら話してくれました。

 その日からダイちゃんに信じられないほどの生命力が湧き上がりました。でも、ろうそくの炎が消えるように3週間後に亡くなりました。

 ダイちゃんは亡くなる直前、横たわった状態で、息絶え絶えの中ニッコリ笑いながらお姉さんに言ったそうです。

 「ボク、この家族で本当に良かった」って。

 「どんなにどうしようもないことがあっても、胸を張って生きていけば必ずいい人生になる」ということを、私はこの家族から学ばせてもらいました。

 「いのちってすごい」ということを、今もたくさんの人たちから教わっています。人間はきっとどんな状態でも成熟していけるのだと思います。

(2009年3月9日号、16日号より)

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