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転載・過去・未来 2848号(2020/08/17)
その168 僕はこうして炭焼き職人になった!~名人たちから学んだのは、技術以上に生き方の素晴らしさでした

炭焼き職人 原伸介
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 炭焼き職人の「伊沢衛(まもる)さん」に弟子入りしたのは僕が22歳の時でした。

 朝早く山に行って火を熾(おこ)し、昼間の休憩時間に中華料理店でバイトをし、塾の講師や家庭教師を夜遅くまでやって修行を続け、24歳になる直前に師匠からの独立を決めました。

 山道を造り、炭窯(すみがま)を造り、何とか炭を焼けるようになりました。

 修行時代にご縁のあった問屋さんに連絡し、炭を買ってもらえることになりました。でも、あまりにも安くて、時給を計算するとたったの「200円」でした。

 次に問屋さんが来た時に値上げを打診しましたが聞いてもらえず、僕は思わず「お宅には俺の炭は出さない」と啖呵(たんか)を切ってしまいました。

 それからは営業と販売もやらなければいけなくなりました。

 夕方まで炭を焼き、その後、地下足袋、作業着のまま市内のお店を回りました。炭を扱ってくれそうなお店はすべて回りましたが、どのお店でも話すら聞いてもらえませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 工場だったら商品が売れなかったら生産をストップして販売に精を出せばいいのですが、炭焼きはそうはいきません。窯の温度を高く保たなければいい炭は焼けないからです。だから、売れようが売れまいが炭を焼き続けました。

 しかも、僕が焼いてる「白炭」は、備長炭と同じで、堅く焼き締めるために生木(せいぼく)、つまり伐りたての木じゃなきゃいけないのです。

 だから僕は、雨が降ろうが、雪が降ろうが、高熱が出ようが、毎日山に入ってその日に伐った木を焼いていきました。

 売れないので在庫は増える一方です。先のことを考えると夜は眠れず、食事も喉を通らなくなり、精神的に追い詰められていきました。

 やがて、ついに限界が来ました。その時のことを僕は今でもはっきり覚えています。底冷えのする2月の寒い日でした。

 体を引きずるように山に入り、2、3本伐ったところで体中の力が抜け、その場にへたり込みました。「もうダメだ」という絶望の言葉が頭の中に浮かびました。

 でも不思議なことに、もう一つ言葉が聞こえてきたのです。「笑え」って。幻聴だったのかもしれません。でもあれはきっと山の神様の声だったと僕は今でも信じています。

 「え?」って思いました。「今俺は絶望のどん底にいる。笑えるわけねぇだろう」とその声に猛抗議する9割の自分がいました。

 でも残りの1割の自分で、「そうだな、たしかにもう笑うしかねぇや」と思ったんです。「自分にできることは全部やった。もうどうにもならない。もうなるようになれ」と。

 それで、僕は笑いました。山の中ですから、かなりヤケクソで、できる限りの大声で笑いました。

 30秒くらい笑うとちょっと冷静になりました。でも冷静になると、またおかしいんです。マイナス5度の寒い山中で、たった一人で笑っている自分がいる。「何やってんだ、俺?」って思ってまた笑いました。1分くらい笑うと今度は本当に楽しくなってきました。

 笑い過ぎて呼吸困難になり、涙まで出てきました。頭の手ぬぐいを取って涙を拭いた時、気づきました。「あ、俺まだ大丈夫だ」と。

 絶望のどん底にいた自分が、たった2分くらい声をあげて笑っただけで、絶望から抜け出せたんです。僕は笑いの真髄を悟りました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 それからでした、僕の炭が劇的に売れるようになったのは。

 その理由が今は分かります。あの時の自分は毎日がつらくてつらくてしょうがなかったから、営業でもいつも眉間にしわが寄って怖い顔をしていたんだと思うんです。

 でも開き直ってからは、「僕、炭を焼いてるんです」と笑顔で言えるようになり、きっと人相まで変わったんです。笑顔だと人は話を聞いてくれます。そんなことに気づくのに、僕はすごく遠回りをしなければいけませんでした。

 その後の炭の売れ方はとにかく半端じゃありませんでした。「原さんがひと冬で焼いた炭を全部ください」「値段はそちらの言い値で買います」と、もうびっくりするくらいに言われるんです。

 ホームセンターに行けばいくらでも安い炭があるのに、「原さんの炭じゃなきゃダメ」と言ってくださるお客様が次から次に出てきたんです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 本当にありがたくて、僕はできる限りのご恩返しをしたいと思いました。僕も職人の端くれですから、「もっと良い炭を焼くことでご恩返しをしたい」と思ったんです。そうして僕はもう一度全国に修行の旅に出ました。

 各地の名人に会いに行き、素晴らしい技術をたくさん学ばせていただきました。技術以上に生き方の素晴らしさを学んできました。

 宮崎県北郷村[現・美郷(みさと)町]の炭焼き名人からはこんなことを教わりました。

 その人はとても無口で聞いたことしか答えてくれないぶっきらぼうな方でしたが、いきなり、「技術ってのはいいもんだぞ。技術は火事になっても燃えねぇし、泥棒が来たって持って行かれる心配はねぇしな」と。

 さらにその後の言葉がもっとすごかったです。

 「でもな、どんなに遠くからでも人様が盗みに来るような、しっかりとした技術を身に付けなきゃいけねぇんだぞ」って。

 全身に鳥肌が立ちました。あまりにもかっこよすぎて。この話、何度お話ししてもその度に僕は鳥肌が立ちます。今も立っています。

 「職人ってかっこいい。すげえなぁ」と、とても感動しました。

(2009年12月7日号から21日号より)



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