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転載・過去・未来 2850号(2020/09/07)
その170 納棺夫日記~すべてが輝いて見える別世界

作家/『納棺夫日記』著者 青木新門
 人が死ぬと、遺体は革袋に水を入れたような状態になります。ちょっと体を傾けただけで、耳や鼻や口など、穴という穴から血の混じった水が出てきます。

 今はほとんどが病院か施設で亡くなり、看護師や介護福祉士が真綿を詰めてくださるので、皆さんがその光景を見ることはないと思います。

 そして遺体のお腹の上にドライアイスを置きますよね。これも胃の中まで凍らせて何も出てこないようにするためです。

 その作業を見ているうちに私も手伝わされるようになり、いつの間にか社内での「納棺専従」になりました。

 当時、富山県では火葬場で働くおじさんを「隠坊(おんぼう)」と呼んでいました。非常に蔑(さげす)んだ差別用語です。「死に触れる」というだけで、その方の家の娘さんがお嫁に行けなくなるくらいの差別がありました。

 私も、「青木は死体を拭いてるらしい」という噂が伝わり、年賀状が来なくなりました。道で知り合いに会うと隠れて行き過ぎるのを待つような生き方をするようになりました。

 陰で「納棺夫」と呼ばれ、女房からも「子どもがいじめられるから、そんな仕事辞めて」と言われました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 私は母子家庭に育ち、私の大学の学費は分家の叔父が工面してくれました。

 でも私は大学を中退し、実家に帰って仕事をしていました。

 ある日叔父が突然やってきて言いました。

 「お前は勝手に大学を中退したばかりか、今は死体を拭く仕事をしてるらしいな。そんな仕事すぐ辞めろ。辞めないなら縁を切る。お前は親族の恥だ。顔も見たくない」

 その後は叔父とずっと疎遠にしていました。でもある時、東京の叔母から叔父さんが末期がんで入院していると電話が来ました。

 「ざまぁみろ」と思いました。「親族の恥」と言われたことが悔しくて、叔父にずっと恨みを持っていたのです。

 しばらくしておふくろから電話がありました。「叔父さんは意識不明の危篤で、お医者さんから今晩までと言われたそうよ。すぐにお見舞いに行って」と言われました。

 「行ったらきっとまた嫌なことを言われる」と思っていたので、それまでずっとお見舞いに行っていませんでした。「でも意識不明だったら大丈夫かな」と思って、思い切って行きました。

 病室に入ってびっくりしました。「さっきまで意識不明だったけど、今気がついた」と叔母が言うのです。

 叔父にはプラスチックの酸素吸入器が当てられていました。

 私が近づくと叔父は手を伸ばしてきました。その手を握ると叔父の目から大粒の涙が流れ落ち、口がかすかに動きました。

 叔父は「ありがとう」と言っていました。私も「叔父さん、すみません」と叔父の手を握って泣きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


 泣きながら家に帰りました。家に帰り着くと叔母から電話がありました。僕が病院を出た直後に叔父は亡くなったそうです。

 「自分は納棺夫に成り下がってしまった」と構えて会いに行ったのに、叔父はあんなにも優しい顔で、目から涙を流しながら「ありがとう」と言ってくれた。その時叔父は、すでに「差別のない、すべてが輝いて見える別世界」にいたのだと思います。

(2010年5月31日号~6月14日号より)

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