転載・過去・未来 2855号(2020/10/12)
その174 「弁当事件」~雄大な阿蘇山が教えてくれたこと
熊本大学教育学部 シニア教授 石橋敏郎
私の学んだ小学校は熊本県阿蘇郡南小国町にある、生徒10人の田舎の小学校でした。全部で10人ですから1年生と2年生は同じ教室で勉強します。でも先生は1人なので、1年生の授業の時は、2年生は当然自習になります。このおかげで私は自分で勉強する癖がつきました。
家はほとんど農家です。お父さんに宿題を聞きに行くと、「こげなつも分からんとか? おっかさんに聞け」と言われます。でもお母さんも分かりません(笑)。だから自分で勉強する以外にないのです。
中学校は、生徒数2000人の熊本市内の学校でした。そこで起こったのが「弁当事件」です。
おふくろは、私の好物の白身魚のタラを、いっぱいのメシの真ん中に1本入れた弁当を私に持たせてくれました。
初日、同級生に誘われ、5人くらいで一緒に弁当を食べ始めました。
すると前に座った奴が言うのです。「石橋の弁当はえらい珍しかね(笑)」と。
見るとみんなの弁当は、弁当箱の半分にいろんな種類のおかずが入っていました。
そして、次の日も、さらに次の日も「タラ弁当」が続き、さすがの私もとうとうおふくろに言いました。
「おっかさん、都会の学校では仲間で一緒に弁当を食うんだ。その時『おかず交換』なるものが行われる。だから、おかずは明日から複数入れてくれ」と。
翌日、弁当を開けると、希望通りおかずが複数入っていました。タラの横に、薄く切って塩もみしたキュウリが山のように入っていました(笑)。それも私の大好物でした。
私はそれ以後、弁当には一切文句を言わないと決めました(笑)。
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今学校でこんな事件が起きたらどうでしょう。その子は次の日から不登校かもしれません。
「お母さん、僕もう学校に行きたくない、みんなが僕の弁当を笑うんだ」とか言って。
そうするとお母さんは頭にカーッと血が上り、校長室に怒鳴りこみます。「校長先生、みんながうちの子の弁当を笑いよる」と。
そして校長先生は、すぐに担任を呼び指導します。
すると担任は次の日、生徒に向かって、「人の弁当を見て笑うのはやめましょう。弁当はみんな平等です」とか、訳の分からないことを言うのです(笑)。
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でも私は、次の日もタラとキュウリの弁当で学校に行きました。私がとりわけ精神力の強い子どもだったからではありません。それは「私の育った環境のお陰」と考える以外にはないのです。
その「環境」の第一は「親」です。「親の育て方」ということです。人生で一番大切なものは何かを、親は私に教えてくれました。
二番目は、たった10人のあの田舎の小学校で、友だちが兄弟のように遊んでくれたことです。
三番目は、他人の子どもを自分の子と分け隔てなく接してくれた村の大人たちがいたことです。
そして四番目は、毎日眺めていた阿蘇山の雄大な景色です。それは私にいつもこう語りかけてくれました。
「いいか、敏郎。弁当のおかずとか、着ているものとか、住んでいるところなんて、どうでもいい。そんなもんはちっぽけなことだ。人生にはもっとスケールの大きい大事なことがある。お前はそのことに関心を持て」と。
子どもは全て環境によってつくられる。これはもう間違いのないことだと思っています。
(2009年11月2日号より)
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2855号