転載・過去・未来 2857号(2020/10/26)
その176 「べてるの家」のメッセージ~安心して絶望できる人生とは?
魂の編集長 水谷 謹人
社会福祉法人「浦河べてるの家」(以下・べてるの家)の理事で、ソーシャルワーカー・向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんの講演を聴いた。「べてるの家」とは、北海道・浦河町にある精神障がい者の活動拠点施設で、向谷地さんは1984年の創設時から関わっている。
彼の著書『安心して絶望できる人生』(NHK出版)は、そのタイトルがあまりにも衝撃的だった。
精神障がいという疾患があると、社会性や協調性が乏しいので働くこともままならず、社会から孤立したり、差別やいじめにあう。本人も家族も出口のないトンネルに入り込んだような、絶望的な人生を送らざるを得ない。
しかし、彼らの周りに同じような病気の人がたくさんいて、病気に理解のある地域社会があって、鍵のかかる病室に入院させられることもなく、薬漬けにされることのない医療環境があれば、彼らは安心して生きていけるというのだ。
だから「べてるの家」ではこんな会話が飛び交う。「最近自分の行き詰まりに手ごたえを感じてきた」「悩み方のセンスがよくなってきた」「悩みや不安に誇りを感じる」等々。
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「べてるの家」を有名にしたのは「幻覚&妄想大会」だ。この大会見たさに全国から「べてるファン」が集まってくる。その日は町の宿泊施設はどこも満室になる。
「べてるの家」の計画が持ち上がった当初、全国から精神障がい者が移住してくるということで、反対する町民が多かった。しかし、今、あの過疎の町は「べてるの家」の人たちで活気づき、町の経済は彼らのおかげで活性化している。
さて、「幻覚&妄想大会」とは、彼らが見た幻覚や妄想を年に一度発表して、一番すごい幻覚・妄想を見た人を表彰する大会だ。
松本寛さんは、男性なのに片思いの看護師の子どもをお腹に宿して、つわりに苦しみ、最後は流産するという妄想で、第2回「幻覚&妄想大会」で優勝した。
彼には幼少の頃から幻聴があった。「殺せ」という声が聞こえると、殺意を持って親に向かった。「お前は馬だ」「お前は殺される」「毎日学校に通っているんだから給料をもらえ」、子どもの頃はこの声が幻聴だと知らなかった。
社会人になり、仕事を頑張ることがやめられなくなった。どうしたら頑張ることがやめられるか、「病気になるしかない」と考え、無茶苦茶頑張って道路で倒れて救急車で搬送され、病院のベッドに寝かされて、「助かった」と思った。21歳の時だった。
ある日、製薬会社の研修会に呼ばれた。「製薬メーカーに望むことは?」と聞かれ、「今では幻聴さんは僕の友だちです。治る薬を作らないでください」と答えた。
幻聴が、「べてるの家」に来てから友だちのようになったという。だから「べてるの家」ではみんな幻聴のことを「幻聴さん」と呼ぶ。
ある年の七夕の短冊にこんな願い事を書いた人がいた。「治りませんように」。これがそのまま本のタイトルになった。(斉藤道雄著/みすず書房)
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私たちは今まで歯を食いしばって頑張れば学歴も地位も給料も上がり、便利・快適な生活を手に入れることが幸せだと思ってきた。
だが、それこそが幻覚・妄想だったのではないか。弱い人が弱い人のままで生きられ、少しくらい不自由や不便でも楽しい社会こそ、幸せな社会ではないか。
そんなことを「べてるの家」の人たちがささやいているような気がする。
(2011年9月19日号社説より)
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