転載・過去・未来 2861号(2020/11/23)
その179 社会からの無言の称賛を感じる感性
魂の編集長 水谷謹人
もうすぐ東北では雪の季節になる。大雪になると除雪車が出動するが、住宅地や中山間地域の狭い道では、地域の誰かが、誰に頼まれたわけでもなく、率先して雪かきをしているという。村上春樹著『ダンス・ダンス・ダンス』の中に「雪かき」の話が出てくる。主人公はフリーライターの「僕」。知人の作家・牧村拓(ひらく)が「僕」に語り掛ける。
「君は書く仕事をしているそうだな」。「僕」は答える。「書くというほどのことじゃないです。誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです」
誰かがやらなければならないこと、それを村上春樹氏は「雪かき」と言った。
この話を受けて、哲学者・内田樹(たつる)氏は、『下流志向』の中で「労働の本質は雪かきにある」と言っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
どういうことか。雪かきをする人は、雪かきをしているところを多くの人から目撃されることはない。人々が仕事に行く時には既に雪かきは終わっている。
そのきれいに雪かきされた道を、みんな当たり前のように歩いて出勤する。中には「俺が起きる前に誰かが雪かきをしてくれたんだ」と思いながら職場に急ぐ人もいるかもしれないが、誰がしたか分からないので、その感謝の気持ちが言葉になることはない。
しかし、誰かがそれをしなかったら、凍りついた雪に足を滑らせて転んだり、ケガをしたりする。
つまり、雪かきは誰かを喜ばすためにするのではなく、その道を通る人たちがいつものように普通に歩いて行けるようにやっているのである。
誰も見ていないし、誰からも称賛されることはない。それでも、その作業を誰かがやらなければならない。そういう人がいることで、実は社会はうまく回っているのだ。
そして何事もなく、平常通りに人々が仕事に行ってしまったのを見届けた時、雪かきした人はものすごい充実感を感じるのだろう。
もっと言うと、世の中の仕事というものはそういうものかもしれない。いや、仕事だけではない。消防団や民生委員、自治会役員、夜回りなど、何十年もやっている人たちがいる。社会からの無言の称賛を感じる感性を持っていないと、「こんなことやってられるか!」という気持ちにもなるだろう。
内田氏は、足元にある大切なものに気づかず、遠くにある「幸せの青い鳥」を探して旅をすることと、「雪かき」を対比させている。
「自己利益の最大化」を求めて「青い鳥」を捜しに行く生き方も、もちろん尊重されるべきだが、そういう人たちは「雪かき作業」に対する敬意が欠けているのではないか、と。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
数年前、内田氏は自分の研究とは関係ない大学の雑用をさせられていたときのことを、こうブログに書いている。
「…私が着任したばかりの頃には、年長の先生方がこんな仕事を今の私と同じように愚痴をこぼしながらされていて、その努力のおかげで大学組織が運営されていたわけである。そんな先生方の苦労も知らず顔に、若い私はお気楽に自分の研究をしていた。私もこれまで随分『雪かきされた道』を、それと知らずに足早に駆け抜けてきたわけであるからして、いずれ『お返し』をしないといけないのである」
きっと自分も「誰かが雪かきした道」を歩いているのだろう。それが何なのか、まだ分からないが、自分が「雪かき」のようなことをする時には、今よりましな大人になっているのではないだろうか。
(2011年2月14日号社説より)
- その183 『会いたかった』を聴いてみて…
- その182 スピリチュアルケア~「生きていてよかった」の言葉
- その181 宇宙探査機ボイジャー~「彼は私たちの素敵な息子だった」
- その180 笑いと健康~「いい患者」になりましょう
- その179 社会からの無言の称賛を感じる感性
- その178 インターネットを開放した男~「地球存亡の危機じゃないか!」
- その177 『かさじぞう』~二人はすでに幸せだったのです
- その176 「べてるの家」のメッセージ~安心して絶望できる人生とは?
- その175 「弁当の日」がやってきた!~そのとき、子どもの「生きる力」が目覚めていく
- その174 「弁当事件」~雄大な阿蘇山が教えてくれたこと
- その173 神様のいたずら~自閉症の息子とうつの妻を抱えて
- その172 最高のチームの作り方~受験は個人戦ではなく団体戦
- その171 看取り士~いのちを抱きしめることの意味
- その170 納棺夫日記~すべてが輝いて見える別世界
- その169 エア・ジョーダンの裏話~魅力は一つに絞ったほうが伝わる
- その168 僕はこうして炭焼き職人になった!~名人たちから学んだのは、技術以上に生き方の素晴らしさでした
- その167 心の表現~短歌に表れる切ない気持ち
- その166 50から愛に向かって~「裏を見せ、表を見せて散る紅葉」
- その165 トイレの順番待ちの時に言うこの一言~現代人になくなってしまった「声かけ」
- その164 「お母さん、私と一緒にグレましょう」~困難から成熟していく家族
- その163 いじめのない学校をつくろう!~日本初、障がい児のための学校を創った夫婦の物語
- その162 たまゆらの音~川端文学が宮崎と出会った日
- その161 目標と目的を持て!~人は、誰かのためなら諦めない
- その160 『恋の高校総体に出るために』~素敵な人が現れたら素敵な恋愛ができますか?
- その159 ふれあいを求めて~私に生きがいをくれた言葉
- その158 つらい時もクスっと笑うために~寝る前に習慣にしてほしい、たった一つのこと
- その157 時勢に負けた宮本武蔵~時代の転換期に備えるべきこと
- その156 沖縄の長寿村を調査して~耳たぶマッサージと笑いとパロチン
- その155 いのちのバトンタッチ~「あ~ええ風が吹いてきた」
- その154 志村けんの影響力~「最初はグー」なら「最後もグー」
2861号