ホームサンプル一覧

社説 2648号(2016/05/23)
すべて家庭科に繋がっている

魂の編集長 水谷謹人
 今週号1面に登場した香取貴信さんは『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』という本を出している。「働くとは?」「本当のサービスとは?」、そんなことを8年間のアルバイトの中で学び、今はそれを伝えるコンサルタントとして活躍中だ。

 「人生で大切なことは…」は、シリーズ本のように、いろんな人がそれぞれの「現場」で学んだことを書き記している。

 『人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!』とか、『人生で大切なことは海の上で学んだ』など。ほかにも「映画」「絵本」「マクドナルド」「落語」等々、人生を学ぶテキストはどこにでもあるようだ。

 意外な視点から問題提起しているのは『人生で大切なことはすべて家庭科で学べる』である。著者の末松孝治さん(39)は、福島県内で唯一の男性の家庭科の高校教師だ。おそらく全国的にも男性の家庭科教師は珍しいのではないか。

 末松さんが高校3年のとき、それまで女子だけの必履修科目だった家庭科が男女共修になった。ちょうど進路を考える時期だった。「家庭科の男性教師がいたら面白いんじゃないか」、そんな好奇心で彼は家政学部のある大学に進んだ。

 教師になった最初の頃は、しどろもどろの授業をしていた。扱う内容は家庭生活、保育、衣・食・住、消費生活など、日常に密着したものなのだが、経験が乏しく、教科書をなぞるだけの授業だった。

 ある日、卒業生のA子から電話があった。「仕事のノルマでどうしてもあと1人、事務所に連れてこなければならない」と言う。「先生に来てほしい」と懇願され、「教え子のたっての頼みとあれば」と、末松さんはその事務所に行った。

 「社長」という肩書きの、美しい女性が出てきた。世間話の後、「商品の説明だけ聞いてほしい」と言われ、快諾した。

 そこから社長は堰を切ったように商品説明を始めた。それが終わると、今度はお客を紹介すればするほど儲かるシステムであることを話した。

 契約する気はないことを告げたが、帰してもらえる雰囲気ではなかった。根比べになった。「B子ちゃんもC子ちゃんもこの前契約していただきました」と、A子と親しかった、かつての教え子の名前が出てきた。最終的に根比べに勝ち、ようやく解放された。3時間が過ぎていた。

 末松さんは思った。「あんな雰囲気の中で迫られたら、20代そこそこの子ならきっと契約してしまうだろうなぁ」と。

 後日、B子に話を聞いたら、「断り切れずに泣く泣く月々1万5000円のローンを組まされた」と嘆いていた。

 もちろん、そういうシステムや商売が悪いわけではない。自分に必要ないのに断り切れず、意に反して契約してしまった教え子の話を聞いて、末松さんは申し訳ない気持ちになった。「消費者教育は家庭科の分野だ。自分がちゃんと教えていれば…」

 これを機に末松さんの授業は「人生を学ぶ授業」に変わった。授業の柱は二つ。

 一つは「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」。教科書「を」教える授業だと誰が教えても同じ内容になるが、教科書「で」教えることを意識することで、ひと工夫加わった授業になった。

 もう一つは、「自分の経験を教科書の内容とリンクさせて伝える」。経験値の少ない高校生に教科書の内容をそのまま伝えても彼らはイメージできない。そこで自分が経験した結婚生活のことやお金のトラブルなどを具体的に伝えた。

 東日本大震災の被災者でもある末松さんは、震災直後にカップ麺が1個1000円に値上がりしたのを見て「お金の価値」について考え、壊れた家屋を見て災害保険の役割を再認識した。原発事故は環境やエネルギー問題だ。「すべて家庭科に繋がっている。家庭科で人生が学べる」と思った。

 かつて約140時間あった高校の家庭科が、文科省の方針で今約半分に減らされている。進学や就職に有利な授業が増えたからだ。そんな中、末松さんは「家庭科は今後の日本の教育に本当に大切な教科です」と訴えている。
hensyucho3.jpg
お友達紹介
ブログ
  • 水谷もりひとブログ
  • 山本孝弘ブログ