坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた
みなさまこんにちはハートスタッフのごとうです。
ここでは、ちょっと息抜きのつもりで見ていただけると嬉しいです
玄関からではなく、縁側から来る感じで
どうぞ靴を脱いで
足を崩して
なんなら手土産持参で(笑)
どうぞゆるりとすごしてください。
私の最近に気になったことを
ちょっと聞いてくださいな。
6月19日号の大谷徹奘さんの記事の中で
「薬師寺の大きな特徴として、お寺にお墓を持たず、
お坊さんは一切葬儀に触れることがないということです。」
という文面にちょっとびっくりしました。
私はお寺さんやお坊さんとの接点は、お葬式や法事でしかなかったので
えぇ~?葬儀をしない?
じゃあ、なにをしているの?と気になったところ
「目の前の現実をどう受け止めたらいいのか。
その心の修行やお勉強をするための学校」
と、あるんですね。
へぇ~ お坊さんのお勉強、仏教ってどんなものだろう
って、ちょっと興味が湧いたのです。
でも、仏教やお経なんてなかなか身近でもないし、難しいものだと思っていたので、
なんとなく気になるー
くらいで いたのですね。
そんなとき、たまたまテレビで仏教の経典を取り扱っている番組があって
観てみると分かりやすく解説してあり、面白かったのです。
テレビで見てもうちょっと詳しく知りたいなと、
テキストを買ってみたのでご紹介します。
薄い冊子なのですぐ終わると思ったのですが、
結論から言うと、奥深くて3分ではまとめられないです(笑)
『維摩経(ゆいまぎょう)』という経典なんですが
他の多くの経典は釈迦が教えを説き、それを弟子たちや菩薩たちが傾聴するスタイルで書かれているのに対して、
『維摩経』は「維摩」という在家仏教信者のおじいさんが教えを説くというユニークなお経なのですね。
仏教徒はふたつに分けられるそうで、
出家者とは、
私有財産を持たず、家族や仕事などの社会生活から離れて厳しい戒律の下で
仏道修行を実践している人々を指し、
在家者とは、仕事や家族を持ち、普通の暮らしの中で仏教の教えを実践しながら
生活している人々を指します。
「一般的には、世俗を離れてストイックに生きている出家者のほうが、社会に軸足を置いている在家者よりもレベルの高い存在だと思われがちですが、『維摩経』では逆に、在家者の立場にある維摩が出家者たちに仏教の本質を説くという内容になっている」
とのこと。
有名なお弟子さんや菩薩さんたちが教えを説かれるなんて、新鮮です。
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『維摩経』は十四章からなるのですが、
その中から一つ。
「不二の法門」について
「善と悪、美と醜、浄と不浄など相反するものが一つとなる世界」のことを不二の法門では指すのですが、
相反するものが一つとなる、それを「悟りの世界」ととらえるそうです。
たとえば、綺麗な髪の人を見て、「きれい」と思うのに、
その髪の毛が排水口に溜まっていると「汚い」と思う
モノそのもの、物質はかわっていないのに、
それをみる自分によって違って見える
「同じものを見ても、自分の捉え方次第で全く別のものに見えてくる。」
自分次第で物事の捉え方が変わる
ものごとを分けているのは自分自身である
なるほどなぁと
仏教や経典というと、お寺さんやお坊さんのもの、難しいものと思ってしまいがちですが、
現代の、今の私達にも通じる内容になっていて、このテキスト『維摩経』の中には
敬遠せずに取り入れていくといい考えがたくさんあるなと思いました。
今更ですが、タイトルに意味はありません(笑)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
では、素敵な週末を!