無料公開!!【転載・過去・未来】その117
じいさんと孫娘~「だから平岩君を甘やかした」~作家 平岩弓枝さん
私の師匠は明治17年生まれの長谷川伸(しん)という先生です。私はその先生の「末の末っ子」といわれた、一番下の弟子でした。
先生の門下生になって短編小説を四つほど書いた時、私は直木賞を受賞しました。世間様から「ラッキー」といわれました。
受賞の知らせが来た時、私は先生に電話を入れて、「私には無理です。ご辞退してもいいでしょうか」と言いました。
すると先生は、「辞退は許さない。君が辞退したら、君の作品を選んだ選考委員の方が恥をかく。君が受けた直木賞は10年間私が預かっておく。10年後、この賞に恥じない作家に育ちなさい」とおっしゃいました。
先生はさらにおっしゃいました。「分からぬことだらけだろう。分からぬことを恥じてはいけない。何でも私に聞きなさい。私に聞くことを恥じてはならない」
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ある時、テレビ時代劇の1時間ドラマを書きました。そのVTR撮りの日にスタジオに行くと、ディレクターとプロデューサーから、「妻が離縁状を開くシーンを後ろから撮りたい。離縁状の中身を今から書いてもらいたい」と言われました。
私は江戸時代の離縁状の文句を知りませんでした。恥ずかしさの中、すぐに長谷川先生に電話をかけました。先生はすぐに離縁状の文句を教えてくださいました。
先生のお部屋には、大先輩の山岡荘八先生と村上元三先生がいらっしゃいました。そしてその電話のやり取りを聞きながら、何やらひそひそ話をされたそうです。
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長谷川先生が受話器を置くとすぐに山岡先生がおっしゃいました。
「私たちはこれまで一度も、先生に電話でものを尋ねるなど、そんな失礼なことはしていません。でも先生は、平岩君をお叱りになることなく、すぐに質問にお答えになりました。甘やかし過ぎです」
すると、長谷川先生はこう言われました。
「確かに私は平岩君を甘やかしている。理由はたった一つ、君たちと私の年は父親と息子だね。父親と息子というのは共に学び合い、共に鍛え合う、長い歳月がそこにある。しかし平岩君と私の年はじいさんと孫娘だ。君たちのようなやり方では間に合わない。私の寿命が間に合わんのだよ」
「平岩君は若くして直木賞を受賞した。今のあの子の状態は、これ以上背伸びをしたら転ぶんだ。それほどの背伸びをしながら周囲の期待に応えている。私があの子にしてあげられるのは、今にも転びそうな足の下に踏み台を置いてあげることだ」
「間もなく別れの日がやって来る。私があの世に旅立った後、あの子は一体どうなるだろうか。この世の縁とは何とはかないものか。しかし今の私にできることはこれしかないのだ」
山岡先生たちは、長谷川先生のお通夜の晩に、先生の棺の前でこの話を打ち明けてくれました。
「先生はどれほどの思いを君に残して旅立たれたことか。どれほど心残りがあったことか。そのことを考えながら、これから先は自分の力で歩き、転んだら自分の力で起き上がりなさい。『もう歩けない。もうできません』という言葉は、俺たちの目の黒いうちは絶対に言わせない。血まみれ泥まみれになることを恐れちゃいけない。がんばれ」
先輩たちはそう言って私の背中を押してくれたのでした。
1998年11月23日~12月4日号より)