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無料公開!!【転載・過去・未来】その118

奇跡のいのち~「私はこの一文に魅了された」~
ノンフィクション作家 柳田邦男




 『エリカ 奇跡のいのち』(講談社刊)は、2004年に私が翻訳した絵本です。

 第二次世界大戦中、ユダヤ人はナチスドイツによって大虐殺されました。そんな大変な歴史的事件の中、奇跡的に生き延びた赤ちゃんの物語です。

 強制収容所に運ばれるユダヤ人たちは、家畜を運ぶ貨車に詰め込まれました。身動きできないほど多くのユダヤ人で埋め尽くされた車内。トイレもなければイスもない。そのような過酷な環境の中で立ち尽くし、絶望の思いを抱えたまま、20時間もの長い時間をかけて、彼らは運ばれていきました。

 その貨車に、生後2、3か月の赤ちゃんを抱えた一人の若いお母さんが乗っていました。

 「収容所に着けば、親子は引き離され、赤ちゃんは真っ先に殺されてしまうだろう。いったいどうしたらいいの」と彼女は考えます。

 悩んだ末にこの母親は、貨車が踏切に差し掛かりスピードを落とした瞬間、なんと赤ちゃんをコートに包み、貨車の換気口から投げ捨てたのです。

 「誰かが見つけて拾ってくれれば、万が一にも助かる可能性がある。生き延びていける可能性がある。ゆるしてね、ゆるしてね」と、母親はその「ゼロではない可能性」にかけたのでした。


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 赤ちゃんは、幸いにして柔らかな草むらの上に落ちました。そして踏切待ちをしていた農家の人が赤ちゃんを見つけ、密かに育てるようになりました。当時のドイツでは、ユダヤ人の子どもを預かることは命にかかわるほどの重い罪だったのです。

 やがて母親たちを乗せた列車は強制収容所に到着します。そして帰ってくることは二度とありませんでした。

 その後、赤ちゃんは「エリカ」と名付けられ、誕生日も決められて、村の優しい女性の家の長女として育てられました。エリカは21歳の時結婚し、3人の子どもにも恵まれ、今では孫までいます。これは実際にあった話です。


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 成長していく中でエリカは、その絵本の中で、亡き両親の心や、毒ガスなどで大量虐殺されたユダヤ人のこと、自分を育ててくれたドイツ人女性にも思いをはせます。

 また、亡き母を思う気持ちも切々と語っています。その部分がとても大事だと思ったので、私はこの物語を翻訳したくなりました。

 特に、文中に出てくる、「お母さまは、じぶんは『死』にむかいながら、わたしを『生』にむかってなげたのです」という一文に魅せられました。これを見て、「どうしても私が翻訳したい」と強く思ったのです。

 でも、日本の出版社はなかなか受け入れてくれませんでした。「こんな絵本、どうせ売れない」と思われたのでしょう。でも、私は、時代を超えた普遍性を持つこの母の愛を、どうしても伝えたかったのです。

 『奇跡のいのち』が出版されると大きな反響を呼びました。これを教材に使った中学校もありましたし、学園祭で映像化して上映した大学もありました。

 生みの親ではなくても、育ての親が本当に生みの親と同じように包むように抱きしめて育てれば、その子はしっかり人間形成でき、まっすぐに育っていくのです。

(2008年3月24日号より)