辛いことが合っても「なんとかなる」の精神で~日本講演新聞 水谷もりひと 社説
2度の試練を乗り越えた男性のエピソードをご紹介します。
ひとつは「癌」です。
そしてもう一つは「交通事故による頸椎損傷」です。
二つ目の「頸椎損傷」は首から下が動かなくなってしましました。
こんな辛い試練を乗り越えた愛知県にすむ男性を取り上げました。
☆★社説のタイトル☆★
「何とかなる」と思えた人の人生は…
…こんな人に読んで欲しい!!…
●自分に降りかかっている境遇が辛いと感じていても、
それでも前向きに生きていきたい方
●↑そのような身内の方を支えたい方
では早速行ってみましょーーーう♪♪♪
愛知県岡崎氏在住の森本伸幸さんは現在64歳です。
今から24年前、40歳のとき、仕事でアメリカに行くことになり、家族で移住しました。
そこで、がんが見つかったんです。
ステージ4で、かなり進行していたそうです。
入院して、手術をし、抗がん剤治療をし
その副作用でムーンフェイス、スキンヘッドになりました。
たとえば友だちがそういうことになって
闘病生活をしている病室にお見舞いに行くと、
なんて言葉をかけたらいいのか分かりませんよね。
ですが、アメリカの病院ってすごく陽気なんだそうです。
毎日病室が明るくて、
誰も可哀そうとか思っていないみたいです。
「今生きているんだから今を楽しもうよ」
そんな空気に包まれていたそうです。
その陽気さも手伝って病状は回復し、
職場にも復帰できました。
しかし、、、
次なる試練が森本さんを襲い掛かりました。
交通事故です。
帰国の辞令が出たので、「送別会」ということで帰国1週間前、仲間とバイクでツーリングに出掛けたそうです。
そこでバイクが転倒し、
伸幸さんは首の頸椎(けいつい)を損傷して、
首から下が動かなくなりました。
先に帰国していた奥様も再びアメリカに戻って、
伸幸さんの病室に行きました。
森本さんは奥さんに謝りました「こんな体になってしまった。ごめん」と
こんな状況で、奥さんの広子さんは何と言ったと思いますか?
一緒に悲しんだのでしょうか。。。
一言、こういいました。
「仕方がないわね。何とかなるわよ」
あれから20年の歳月が流れました。
森本さんはこの20年を振り返って笑います。
「本当に何とかなったんです。何とかなり過ぎて孫が6人になりました」
最初は家の外に出るのも嫌だった森本さんですが、
奥さんに支えられて、「何とかなる」と思い、
明るさをモットーに生きてきました。
そんな森本さんの人生と、
後半には森本さんが好きなシンガーソングライターで
がんを克服された杉浦貴之さんの歌詞を取り上げています。
詳細はぜひ社説を読んでみてくださいね。
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