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新聞・雑誌・ジャーナリズムの舞台裏 2764号(2018/11/05)
その1 「情報ビッグバン」の時代がやってきた! 

作家/ジャーナリスト 門田隆将
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 皆さんは、「情報弱者」という言葉をご存知でしょうか。これは、「新聞やテレビ等の情報源しか持っていない人たち」のことです。特に年配の方はドキッとする方も多いかもしれませんね(笑)。

 これまでの新聞やテレビの報道というのは、警察や役所などに置かれている記者クラブの記者たちの取材によって報じられてきました。つまりずっと「マスコミが情報を独占する時代」だったわけです。

 ところがインターネット時代になって、今まで隠されていたいろんなことが明らかになりました。その一つが、「新聞やテレビの報道はそのままのニュースではなく、記者によって加工されたものだった」ということです。

 ではインターネットによって何が変わったか。それは、国民一人ひとりが情報発信ツールを持つようになったことです。ブログやフェイスブックやツイッターをやっている方も多いと思います。

 たとえば皆さんの家の近くで何か事件が起き、新聞社やテレビ局が取材に来て報道したとします。それが間違った報道だったらすぐに分かりますよね。だって自分の近所の出来事なんですから。

 すると以前は、そのメディアの報道局に電話して「間違ってますよ」と言い、担当者が「すみませんでした」と言ってそれで終わりでした。

 でも今は違います。みんな各自が持っている情報発信のツールで、「あの報道は間違いだ」と発信するのです。それが世間に拡がり、みんながそれを知るようになるのです。

 それはつまり「マスコミが大衆に監視される時代が来た」ということです。私はこれを「情報ビッグバン」と呼んでいます。

●「退避」の意味

 2014年の5月20日に「吉田調書騒動」がありました。「吉田調書」とは、東京電力福島第一原子力発電所事故当時の所長・吉田昌郎(よしだ・まさお)さんの証言記録です。

 この調書をスクープした朝日新聞は、「原発の所員たちは所長命令に違反し、9割が撤退した。とても無責任な行為だ」と大々的に報じました。

 私はすぐに「それは誤報だ」と指摘しました。対して朝日新聞は、その記事を掲載した週刊ポストと私に対し、「訂正と謝罪が無い場合は法的措置を検討する」と通告してきました。

 2011年3月11日に起こった大津波により、福島第一原発の原子炉はメルトダウン(炉心溶融/ろしんようゆう)します。現場の所員たちの必死の対応にもかかわらず、原子炉は次第に制御不能の状態になりました。

 15日の朝には、2号機がもう「いつ破裂してもおかしくない」危機的状況を迎えます。あの時原子炉格納容器が爆発していたら、日本は無事な北海道と西日本、人の住めない東日本の三つに分割されていたでしょう。

 15日朝6時過ぎ、「パーン」という大きな音がして2号機の圧力抑制室の圧力がゼロになりました。所員の誰もが「ついに恐れていた最悪の事態が起こった」と青ざめました。

 その瞬間吉田さんは「各班は最少人数を除いて退避!」と叫び、準備していたバス5台での福島第二原発への移動を指示します。朝日新聞はその時の様子を、「所員の9割が所長命令に違反して逃げ出した」と書いたのです。

 では事実はどうだったか。誰もが「家族を残して死ねない」と逃げ出したくなる気持ちの中、720人の所員のうちの69人が棟に残りました。

 彼らに託されたのは、棟に残ってプラントを冷却し続ける任務でした。制御作業をする人間がいなくなれば、福島の第一と第二の計10の原子炉と11の核燃料プールがすべてアウトになります。

 でもそれは命がけの作業です。原子炉内の気圧が上昇し続け「限界」を悟った吉田さんは、一人ひとりの顔を思い浮かべ、ずっと考えたそうです。「何人を残せば作業を続けることができるだろう」と。

 吉田さんは自分と一緒に「死んでくれる」人間を思い浮かべたのです。

 つまりそれは、もしその69人が命を落としたら、待機している次の70人がその後の対応に当たり、それがダメになったらまた次の70人が対応するということです。全員がいっぺんに死んだら闘えなくなるからです。

 その退避命令に対し、所員たちは何と言ったか。私は「やっぱり日本人だな」と感動しました。次々と所員が「俺、残ります。班長だけ残して出るわけにはいきません!」と声を上げたというのです。

 それに対して班長がこう言います。「今はとにかく出ろ。俺が死んだらおまえが来い。おまえが死んだら次が来い」と。

 彼らはそうやって命がけで原子炉を守ろうとしたのです。それがあの時の真実でした。

●誤報はなぜ起こったか?

 私は実際に何名もの関係者やプラントエンジニアたち、そして当時の菅直人首相にも直接話を聴きました。そして書き下ろしたのが『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日』です。ですからあの報道を見た時に、すぐに「誤報」と分かったのです。

 では「所員の9割が所長命令に違反して逃げた」と書いたあの記者たちは、いったい何人の人たちに取材をして書いたのか。答えは何と「ゼロ」でした。

 やがて朝日新聞は、「吉田調書『命令違反し撤退』報道」の記事を取り消し謝罪しました。

 そして第三者委員会を立ち上げ、誤報が起こった原因を検証しました。その結果は今も朝日新聞デジタルのサイト内に出ています。

(NHK文化センター京都支社主催の第329回「オムロン文化フォーラム」講演会より/取材・清水大伸関西特派員、編集・西隆宏)


【かどた・りゅうしょう】ノンフィクション作家。昭和33年、高知県生まれ。中央大法学部卒。『週刊新潮』のデスク、副部長などを務めた後、フリーに。主な著書に『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)など。近著に『敗れても?敗れても』(中央公論新社)。新刊『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP研究所)が12月19日より発売予定。

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