水谷もりひとブログ

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運命を変える行い

鍵山秀三郎さんのご子息である鍵山幸一郎さんから一冊の本をいただきました。

今から400年前の中国、当時は「明」という国でしたが、その時代の学者「袁了凡(えん・りょうぼん)」という人が自分の息子「天啓」のために書き残した家訓ともいうべき『陰?録(いんしつろく)』という本があるのですが、それを分かりやすく日本語に訳した『和語陰?録意訳(わご・いんしつろく・いやく)』という本です。

本のタイトルは『こどもたちへ~積善と陰徳のすすめ』となっています。

普通ならこういう昔の中国の、しかも説教染みた本は読みたくないのですが、鍵山さんから勧められとあっては読まないわけにはいきません。

ページをめくってみると、やさしい日本語で書かれてあったので、比較的スムーズに読み進めることができました。

しかも、おもしろかったのです。

どんな内容かといいますと、袁了凡という人がまだ若かった頃、日本でいうならば中央省庁の国家公務員になるために勉強していました。
そのためには「科挙」という国家試験に合格しなければならないわけですが、それがなかなか通らなかったのです。

それで母親から「あなたのお父さんは医者だったので、あなたも医者になりなさい」と言われ、それで母親の言うことに従って医学部に行く勉強に切り替えました。

そんなとき、あるお寺で一人に老人に出会います。
その老人は易者らしいのですが、袁了凡を見るなり、将来を占うのです。

「そなたは科挙の試験に合格する。それから大学では72番の成績で、大学院では9番目の成績で、○○年に役人となり、給料は○○。○年には地方の知事になり、○年には中央に戻り、○年、53歳のとき、8月14日の丑の時刻に病気で死ぬ。それから一生子どもには恵まれない」と。

それを聞いて、彼はもう一度科挙の試験をめざし、見事合格します。その後の歩みも、あの老人が言った通りになります。

ある日、友人の僧侶のところに遊びにいき、飲みながら語り明かしました。
その際、若い頃に聞いた占い師の話をするわけです。

「自分はこれからこういう人生を歩み、53歳で病気で死ぬ。子どもはできない」と。

そしたらその友人の僧侶が言うわけです。
「お前、バカだなぁ。確かに人間の運命というものは定められている。
しかし、定められた運命のまま生きているのは凡人だけで、強運の人間と極悪の人間は定められた運命から外れていく。

つまり、善なることと出会い、その強さに引かれていった人はどんどん運気を上げていって、もともと定められている運命を超えることができる。

一方、悪なることと出会い、その強さに引かれていった人はどんどん運気を下げて極悪人となり、もともと定められた運命から外れていくもんだ。

だから、善なる行いをどんどんやっていけば、運命は変えられるんだ」

それを聞いて彼はびっくりするわけです。

「お前が平凡に生きようと思ったら、間違いなくその占い師の言う通りの人生になり、53歳で死ぬだろう。しかし、これから修行をし、善なる行いをやっていけば運命は変わるぞ」という話を聞いて、彼はどうやったらいいのかと質問します。

そしたら次のようなことを言われるわけです。

*善いことをしなさい。
*善いことをしたらそれを必ず記帳しなさい。
*善いことを三つしたら、3善。ところが人の悪口を言ったり、親に反抗したりと、1日の中で悪い行いを二つしたら、差し引きます。3善-2悪=1善。
その日の善いことは1善となる。

そうやって彼は3000善をやっていきました。
そしたら妻との間に子どもが生まれました。

さらに3000善をやって、結果、79歳まで生きました。
そして、そのことを書き記し、息子の天啓に残したのが『陰?録』です。

たとえば、ごみを拾うとか、誰かのために何かをしてあげるとか、募金をするとか、そういうことを積み重ねることを「積善」といいます。
大事なことはそのことを人に言わない、自慢しない、これが「陰徳」です。
つまり、「積善」は「陰徳」でやれ!ということです。

善行の点数は1善、2善、3善と数えるのですが、その点数の高さは善行のレベルに比例します。
「人の命を救う」という行為は100善。
「重病人を介護する」は50善とか。

それで僕もやってみようと思いました。
翌日、公園の側を通ったら、前日バーベキュをしたみたいで、めちゃくちゃゴミが散らかっていました。
「ヤッター!善行するチャンス!」と思い、早速家に帰ってゴミ袋を取ってきて、掃除しました。

で、自分でいろんな善行の点数をマニュアル化しました。

*家の掃除は1善。
*近所の公園の掃除は2善。
*市営の公園の掃除は3善。
*県営の公園の掃除は5善。
*あいさつをするは1善。
*人を家に招いて接待をするは3善。
*FBに「いいね」をクリックするは1善。
*人に思いやりのある言葉をかけるは1善。
*誰かに元気の出るハガキを書くは1善。
*誰かに元気の出る手紙を書くは2善。
*誰かのために贈り物をするは3善。
*先祖供養をするは1善。
*読んだら元気の出るブログを書くは1善。
*献血をするは5善、等々。

最初は「ご利益がありますように」という卑しい思いもあったのですが、
だんだん楽しくなって、損得に関係なく、善行を楽しんでやるようになりました。

ただ、悪い行いをするとマイナスになります。
*愚痴を言う
*人の悪口を言う。
*夫婦喧嘩をする。
*公共のマナーを守らない(スマホなど)
*物を粗末にする。
*無駄遣いをする、等々それぞれ1悪としました。
*浮気などは50悪でしょうな。
*殺人なんか1万悪ですね。

「これくらいは神様は許してくれるだろう」というくらいの小さな悪いことも、実はちゃんと天の帳面にカウントされているそうです。
なので、善行も悪行も、自分でカウントしなくてもしっかり天の帳面に書かれていて、人生の最期でつじつまが合うようになっています。

でも、自分でカウントすると楽しいので、やったらいいと思います。

詳しいことは『こどもたちへ~積善と陰徳のすすめ』を読んでみてください。
運命が変わりますよ。