ご飯を食べるように本を読む。
読書というものの人生における意義とは何かと言いますと、「心の食べ物」、しかも「心の栄養素」と言えるでしょう。
肉体は、たとえ病気のときでも、何か食べ物を求めますし、
食欲がなくても何か胃にやさしいものを食べさせようとします。
食べ物は命の源です。
ところが、「心の食べ物」「心の栄養」となると、どうでしょうか?
「時々」とか、「全然」とか、「たまに」となっていないでしょうか?
特に忙しさを口実に優先順位の下位になっていないでしょうか?
「いやいや、心を養い、成長させてくれるものは読書だけではない。
豊かな人生経験こそ、心の成長になる」という人もいます。
しかし、このとき、大事なのは
あらゆる経験も「読書の光に照らされてこそ」、その意味を見い出せるものなのです。
特に経験の中でも、苦悩や失敗、挫折といった、
人生における深刻な経験をすることがあります。
そのとき、その意味を見い出せなかったら、
自暴自棄になって自分を傷つけたり、命を粗末にしたりします。
あるいは、他人の当たることもあります。
日頃から読書を通して深く考える癖、習慣、思考力を身に付けていないと、
どんな経験をしても、その意味、意義に気付かないものです。
せっかくの経験を生かすことができないのです。
「1日読まざれば1日衰える」(森信三)なのです。
「忙しくて読む時間ない」は口実です。
「読書をしなければならない」のではなく、
ご飯を食べるように、読書をするのです。