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つれづれなるままに~後編

宮崎中央新聞社の代表で、親会社の㈱外山建設の社長が外山清子さん(当時、たぶん60代後半)
彼女の弟が、自民党の参議院議員の秘書をしていたのだが、その人から呼び出され、「しゃぶしゃぶ」の店に連れていかれた。

そこで「宮崎中央新聞をやる気ないか。あるならあなたに引き継がせたい」というような話をされた。
「新聞というものは役割がある」「行政にも影響力がある」、その方はそんな話をされた。

当時の宮崎中央新聞は行政色が強く、面白い内容ではなかったが、一応、県庁の中では「報道関係」として他の新聞社と同等な扱いを受けていた。その地位まで持っていくのにそれなりの苦労があったそうだ。

僕は宮崎中央新聞を引き継ぐことを快諾した。

数日後、今度は外山社長と夜飲みに行った。
当時僕は33歳だった。恥ずかしながら、この年まで僕は夜の店を知らなかった。スナックとかバーとか、そういうきれいなお姉ちゃんがいる店に入ったことがなかった。

理由は①お金がなかった。なにせずっとフリーターだったので。②誘ってくれる友人がいなかった。

外山社長は「宮崎中央新聞をよろしく」「今いる社員2人は辞めてもらってもいいし、あなたがそのまま雇用してもいい」と言われた。僕は「要りません」と答えた。

後日、経理を引き継いで驚いた。
購読者数はわずか500人。月1000円なので月商は50万。

妻に相談したら、「貴重な500人。ありがたいね。私が部数を増やすからあなたはいい新聞を作ってください」と言われた。

ここから先は松田くるみ著『宮崎の小さな新聞がなぜ世界中で読まれているのか』にある通り。