「来たときよりも美しく
「来たときよりも美しく」この言葉は、よく観光地などで見られる言葉だったりします。
子どもの頃は、遠足に行った公園や行楽地で
先生からよくその言葉を聞きました。
その公園や遊園地や行楽地は、管理する人が日頃掃除してきれいにしています。
そこに遊びに行くわけです。
もしゴミが出たら、そこに置いていかないで自分で出したゴミは持って帰る。
あるいはもしそこにゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱に入れて帰る。
自分たちが来たときよりも、もっときれいにして帰りましょう、という意味です。
僕はそう思っていました。
でも、この言葉の意味はもっと深いところにあることを、
喜多川泰さんの本『「One World』で知りました。
今の若者に、「あなたはこの日本を誇りに思いますか?」
そう尋ねたら、「はぁ?」と思って一瞬答えに窮することでしょう。
実際、先進国の青少年意識調査を見てみると、同様の質問に対して、
「誇りに思う」と回答するのは、日本の青少年が一番低かったりします。
それも仕方がありません。
戦後、GHQの教育で、
日本人が日本という国を誇りに思えるような教育をしてはいけないということになりましたら。
日本は素晴らしい国であることを教えてはいけなかったんです。
そんな教育をしたら、国民の愛国心に火が付き、また軍国主義につながるからです。
だから、古代史では神話という日本の天皇は神様の子孫という話は
教育の現場では語ってはいけないことになりましたし、
現代史においては、日本は戦争をして近隣諸国に大変な迷惑をかけました、みたいな話をしてきたわけです。
要するに、日本の教育の中には
日本という国の素晴らしさは語られなかったわけです。
もし、この日本が、環境破壊がひどくて、山々の森林を伐採して工場を立て、それがことごとくつぶれて廃墟と化していたらどうでしょう。
家を出るとPM2.5が降ってきて河川や海に行くとヘドロでものすごい匂いがしていたらどうでしょう。
もし、略奪とレイプが日常茶飯事に起きている国だったらどうでしょう。
もし、子どもが誘拐され人身売買が一つのビジネスと成り立っている国だったらどうでしょうか?
もし、ゴミの山があって、子どもたちがそこで鉄くずなどを拾ってお金に替え、
それでたくさんの子どもたちが生活をしているとしたらどうでしょう。
そんな国は実際にあります。
「そんな自国を誇りに思え」と言っても無理です。
でも、夜中も一人で街を歩いて安全・安心。
財布を落としてもそのまま交番に届けられる。
豊かな自然がたくさん残っている。
すばらしい文化、素晴らしい古典芸能がたくさん残っている。
災害のときは暴動など起きず、みんな助け合う。
こんな国が日本です。
「来たときよりも美しく」の「とき」とは「時代」なのだそうです。
私たちがこの世に生まれてきた時代はいつでしょうか?
戦前?
終戦直後?
高度成長期?
いつの時代でも、その時代より、もっといい時代を子どもたちに遺しましょう。
それが「来たときよりも美しく」なのだそうです。