どうせ濡れるのに・・・・
不思議な俳句を見つけました。江戸時代の俳人・滝瓢水(たきひょうすい)の句です。
“浜までは海女も蓑着る時雨かな”
浜に向かっている海女さん。
これから海に入るのでしょう。
すると突然雨が降ってきた。
「時雨」、これが季語になっています。
「時雨」は秋の終わりから冬の初めにかけて降る雨のことです。
突然、空がかげったかと思うとパラパラと降りだし、短時間でサッとあがり、また降り出すといった雨です。
この雨に濡れないように海女さんは蓑を着た。
今で言う雨合羽です。
そして浜に着けば、蓑を脱いで海に入る。
どうせ濡れるんだから蓑まで濡らすことはないのに…と思いますが
それは小学生の考え。
これからプールに向かう。
にわか雨が降ってきた。
どうせ濡れるんだからと、着ているシャツを脱いで水泳パンツ一枚になってプールに向かう小学生。
優に想像できます。
しかし、句に出てくるのは海女さんです。
海の女です。
プライドがあるのです。
「私の身体を濡らしていいのは海だけだ」という海女の女の誇り。
だから、雨なんかに濡れてたまるかと。
自分の身体を大切に思う海女の女の凛とした生き様を感じます。
茶人の吉田晋彩さんは、
海に向かう海女を「死に向かう人間」と解釈しています。
どうせ濡れるのに、自分の身体が濡れないように身体を厭う海女。
どうせ人はいつかは死ぬとわかっているのに、人は自分の人生を大切に生きる。
時々、不運が襲ってくる。
そのとき、蓑を着る、すなわち、何か自分の身体を守るものを人は持っていなければいけないと。
それを吉田晋彩さんは「禅」だと言いきります。
そして、海に着けば、潔く蓑を脱ぎ捨て海に入る。
すなわち、死の淵に辿り着けば、潔く覚悟を決めて死ぬという生き様、死に様をみせないと。
奥深い句ですね。
今朝の読書『耆(ろう)に学ぶ』