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憧れに生きる

この連休に向き合ったのは執行草舟さんの『憧れの思想』(PHP)

この不可解の書に挑戦しては挫折を繰り返している。
でも、まぁ、「わからなくていい」と著者も言っているのだから
そんな心持ちで臨んだ。

結局のところ
人間は死に向かって生きている。

生まれたばかりのそのいのちは、
誕生の歓喜と共に、次の瞬間、もう死に向かって時間が流れ始めている。

どうせ死ぬのなら生まれなきゃいいのだ。
すべてのいのちが、あの世で終始完結すれば、悩みもなく、苦しみもなくていい。
「この世」経由ではなく、
あの世からあの世へ直行便でもいいのではないか。

しかし、気が付いたら、すでに「この世」に生まれている。
それはどういう了見なのだろう。

考えられるのはただ一つ。
あの世では終始完結できない何かがあるのだ。
この肉体生活でないと経験できない何かがあるのだ。

それはなんなのか。

それが生まれてきた目的であり、
人生の目的であり、
「何のために生きるのか」の答えだ。

あの世では経験できないこと。
肉体を持っていないことできないこと。
それは「肉体的五感を使った経験」に他ならない。
何を見て、
何を聴いて、
何を味わって、
何に触れて、
どんな香りを堪能したのか。
そしてそれに伴う感情の喜怒哀楽、これに違いない。

これこそが、生まれたばかりの生命が死を迎えるまでの間に
経験すべきことに違いない。

その経験値の多さや質の高さが、
その生命の、すなわちその人生のクオリティの高さになる。

それを通してしか魂は成長しない。
だから魂は一度、肉体を持つ必要がある。

その魂の成長をもってして、
肉体の死を迎えた後の永遠の世界での真の人生がスタートするのだろう。

その魂の成長の一助となるのが、執行さんの言う「憧れ」である。
何か憧れ、誰かに憧れていると、
強いエネルギーで魂を成長させられる。
さまざまな不条理や苦悩に耐えることができる。

「憧れ」は愛である。
しかし、日本人・執行草舟さんは愛ではなく、「憧れ」といった。
愛ではだめなのだ。
愛はもう広義に解釈され過ぎた。

それに代わる日本語が「憧れ」だ。
憧れに生きる、これこそが人生の目的であり、
「何のために生きるのか」の答えだ。

執行さん、まだまだ分かりません。